ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

本当に馬鹿なのはどっちだ?『馬鹿一』を読む。

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外食をする時、最近はもっぱらグルメサイトで検索する。そこから選ぶ基準は決まって、他の人の評価だ。他の人の評価が高いお店に行く。たとえ、載っている写真が特段おいしそうに見えなくてもだ。映画を見に行くときは必ず、ランキングに入っている作品を選ぶ。たとえ内容がよくわかっていなくてもだ。

 

しかし、いざ行ってみると、「さすが他の人からの評価が高いだけのことはある」と納得するのだ。だからといって、そのお店のどこが良かったか、映画のどのシーンが感動したのかと聞かれると、出てこないことがしばしばだ。感想がでないものは決まって他人の評価を基準に選ぶ時だ。友達が今話題の『君の名は』が面白いというから、今度はそれを観に行こうと思っている。

 

他者の評価がすぐに手に入るようになってから自分の感受性が失われていくのがわかる。自分にとって興味があるのか、ないのかさえわからなくなるときがある。本当ならば、たとえ周囲からの評価が低いとしても、自分が面白いと思うものは面白いのだし、口コミ数が少なくても自分にとってはあの味がたまらないのだ。

 

武者小路実篤の『馬鹿一』を読んだ。新潮文庫ではもう売っていなくて、100年文庫を図書館で借りた。読み終えた後に、自分の感受性のなさに気づいてしまった。

 

ノート:あらすじ

石や草といった誰も見向きもしないものを題材に絵を描き、詩を書く男、下山はじむ。彼の作品はまったくもって世間の評判は悪いが、本人はどこ吹く風で飄々と自然美を追求して作品を作り続けている。そんな下山はじむのあだ名は「馬鹿一」。決して悪口ではないが、周囲は世間の評判に無頓着でお人好しの馬鹿一をからかうのである。みんな気がむしゃくしゃしたり、不愉快なことがあったりすると馬鹿一を訪ねる。のんきな馬鹿一を見ると世間のことを忘れられるらしい。

 

ある日、周囲の連中はどうにかして馬鹿一に「自分が愚かで、自分の仕事など誰からも評価されていない」ことをわからせようと、賭けを行うことを決めた。一人一人が、馬鹿一に世間の常識を伝え、説教をたれに行く。ところが誰一人として、馬鹿一を説得させられなかった。おまえは馬鹿だと伝えようとすればするほど、自分たちの方が愚かであると感じてしまう。それくらいに、馬鹿一は自分の価値観や信念をしっかりと持って自立した人間として生きていたのだ。

 

 

感想

私なんぞは世間の評判を気にして、そして周りの影響を受けやすくて、自分が知った情報をあたかも自分の説かのように話している。まさに、馬鹿一を馬鹿にする側に立っている人間だ。馬鹿一の、周囲の進言に対する言葉がいちいちグサリと突き刺してくる。そしてそれが爽快でイヤミが無い。

 

石ころの絵を見て「こんなものばかりかいてよくあきないね」と言えば、「君はあきる程見たことがあるのか、見ない前にあきているのじゃないのか。よく見たことがないから同じに見えてそこに千変万化がある、面白さがわからないのだ。」と返される。(p.22)

 

偉い人の説を用いて「今時に他人のことを考えないなぞというのは独善主義だとその人は言っているよ。」と諭せば、「本当にその人は他人のことを考えているのかね。僕は他人のことを考えれば考える程、自分がしっかりしなければと思うね。」と返す。(p.27-28)

 

挙げ句の果ては、「君は他人の説ばかり受け売りしているじゃないか。自己に徹していない。独立した一個人になれないものは、僕はまだ人間になってないと思っている。」とくる。(p.29)

 

自分の価値観と信念を持って生きていれば、馬鹿一のように自由に穏やかに暮らせるのかもしれない。周囲が世間に疲れたり、むしゃくしゃしたりした時に彼を訪ねる気持ちがわかる。一種のうらやましさだ。自己に撤してさえいれば、何を言われようと関係ない。他の人が良いと言っているから、といって無条件に受け入れる自分とは大違いだ。自分もなれるのだろうか、自分を貫ける大馬鹿野郎に。

 

純 (百年文庫)
純 (百年文庫)
posted with amazlet at 16.11.28
武者小路 実篤 宇野 千代 高村 光太郎
ポプラ社

メディア界のドンから学ぼう!『反ポピュリズム論』を読む。

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流行語大賞のノミネート作品が発表された。流行は好きだが、この流行語大賞はいただけない。この言葉が日本人の行動や関心を反映していると思うと、民度が低いんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。「ポケモンGO」をまさか高齢者がやるわけないし、「盛り土」「都民ファースト」って東京都民以外そんなに使うのか、などと突っ込みながら眺めるのは好きなのだが。

 

流行語大賞は、日本人の流行というか、明らかにメディアが頻繁に使った言葉だろう。こうしたメディアの操作によって、流行は流行になっていく。年末の忘年会にはトランプの真似したり、「斉藤さんだぞ」をもじってみたりするのだろう。

 

近年、大衆を扇動する政治家によるポピュリズムが世界中で発生している。アメリカ大統領選では、政治経験のないトランプ氏が「強いアメリカを取り戻す」と言ってヒラリー候補に勝った。フィリピンのドトゥルテ大統領は、非人道的な政治パフォーマンスにもかかわらず高い支持率を誇っている。フランスでも次期大統領候補に、移民排斥、EU脱退を訴える極右政党のルペン党首が急浮上している。彼らの特徴は、既存の政治に対する不満を持つ大衆の気持ちを読んで、それに沿った政策を出して人気を得ることだ。私のように流行が大好きで、日本の政治をイマイチと思っている人間は、心に響くようなメッセージをポンと投げられたら、期待してしまうに違いない。時には極論を、時には悪口を言えば、こいつはただ者じゃないと感じるだろう。

 

幸い、大衆の中には混ざりたくないという斜に構えたところがあるので、大衆を操るメディアのドン、読売新聞主筆ナベツネさんこと渡邉恒雄氏からポピュリズムを学ぶとしよう。

 

ノート1:大衆迎合の政治の特徴

日本の一番の問題は経済でも外交でもなく、統治体制の弱体化である。二人の政治家の登場が日本政治のポピュリズム化を示している。一人は小泉純一郎元総理、もう一人は橋下徹大阪市長である。二人の共通点は、①敵を作って、それを叩くことで人気を得る、②誰にでもわかりやすい「聖域なき構造改革」とか、「大阪都構想」「郵政選挙」といった、ワンフレーズ、シングルイシューで支持を訴える、③テレビやネットといったメディアを利用する能力に長けている。

 

彼らは、人々の不満の原因を既存の政治組織のせいにして、メディアを使ってややこしい問題をバカでもわかる単純なフレーズを用いて「これで解決する」と訴えるのだ。

 

ノート2:大衆迎合の政治に陥った理由

ポピュリズム化の背景には政治に対する不信感がある。何も決められない政治。解決しない山積みの社会社会問題。大衆はそういったことにうんざりしている。政治家の質も低下している。その大きな理由は小選挙区制度である。基本区から1名選ばれる小選挙区制度では、過半数をとるためには政策よりも大衆受けする言葉を吐いておけば勝てる。そして党首が人気であれば勝てる。中選挙区制度だったころは、同じ政党内でも議席を争う一方で、15%の得票率さえあれば勝てた。それゆえ、15%の人に届く「本音」を伝えられた。党首の人気に影響されることなく、本当に地道な選挙活動が勝敗を分けた。党首人気にあやかった小選挙区制度では議員は育たない。

 

ノート3:ポピュリズムとは何か

古代ギリシャ・ローマ時代から、民主主義の欠点として「悪い多数者の支配」の弊害について指摘されている。民主主義は民衆の能力が低下すると衆愚政治に陥る危険性をはらんでいる。政府が危機に陥ったとき強い個人のリーダーが登場するのも民主主義の機能の一つである。その個人のリーダーも民衆の無知によって賢人独裁から専制に変わってしまうのである。ゆえにポピュリズムは民衆の知識水準の低下から引き起こされるといえる。

 

ノート4:メディアによるポピュリズムの増強

20世紀の名キャスター、ウォルター・クロンカイトによれば、国民のニュースの情報源をテレビに依存すると民主主義の屋台骨が危うくなる。テレビは新聞などを読めない人にとっては理解水準を上げてくれる一方、それ以外の人にとっては、理解水準を大きく下げる。テレビの欠点は時間だ。尺の関係でややこしい問題をシンプルに伝えなければならない。TVが2,3言を切り取ってニュース全体を伝える「サウンドバイトジャーナリズム」は国民の正しい理解を阻害する。またネットメディアは、匿名で勉強もろくにしていない人が適当に挙げた記事が多く読まれる危険がある。

 

ポピュリズムに対抗するには、メディアを鵜呑みにせず気になることは自分で調べること。

 

 

テレビでは「政界にも影響を及ぼす、影の独裁者」というイメージ付けをされているが、さすがに最大手新聞社の主筆であり、40年以上政治記者を務めただけあり、特に政治家の資質に関しての言説は言葉の重みが違う。日本のポピュリズム化を阻止すべく、2007年に行った大連立の画策についても書かれていて、政治の裏側を見た気がする。

 

しかし、我々庶民もなめられたものだ。政治家に「あいつらは頭悪いから、ちょっとそれっぽいこと言えばついてくるよ」と思われているのか。「とりあえず話題性のある人物を選挙に出しとけば勝てるんじゃね?」と聞こえてきそうだ。我々は政治にもメディアにも踊らされているのだ。テレビではドラマかバラエティしか見ないという人の方が、中途半端なニュース番組を見る人よりも健全なのかもしれない。

 

feuillant.hatenablog.com

 

メディアは見ないという選択肢はある。しかし政治に関わらないという選択肢はない。メディアを見ないで、社会で起きていることを理解し、選挙で意思決定をするのは難しい。テレビで池上彰のようなニュース番組が人気なのも、「知りたいという」欲求があることの表れだ。庶民といえど知識欲は衰えていない。しかし、テレビでは尺が足りない。我々も情報を収集して理解する時間が足りない。

 

「時間がないからざっくり伝えるけど勘弁して。」「ちょうど良かった。こっちも時間が無いから手っ取り早く頼むよ。」といった具合でつまりWin-Winの関係でもある。一応何が起こっているかが頭に入っていれば、気になるものは自分で調べれば良い。そうだ、自分で気になったら詳しく調べればよいのだ。子どもの頃、テレビでカブトムシの特集をやっていて、カブトムシに興味を持ち図鑑を買ってもらい、調べた事がある。そんな感覚で理解水準の低下を抑えられないだろうか。

 

反ポピュリズム論 (新潮新書)
渡邉 恒雄
新潮社

答えはすでに出ている?『統計学が日本を救う』を読む。

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世の中の問題をあれこれ議論するのはよくあることだ。時には過激な言い回しで極論に走ったり、知識をひけらかし少し俯瞰して物事を見た気になったりする。先日、15年来の友人と飲みながら日本社会について熱く議論を繰り広げてしまった。わかっていることだが、我々ごときが知った風な感じで唱えている解決策なんてとっくの昔に誰かがやっているのだ。そして、それが上手くいかないことがわかっているから誰もやっていない。それなのに、お酒が入ると日本政府のここが悪いだの、税金をどう使うかなど延々と話し続ける。

 

その通り。社会の問題について議論することで、自分がちょっとましな人間と思われたいという一種のナルシシズムなのだ。クイズ番組に出ているインテリ芸能人が、googleで調べればわかることを答えてドヤ顔を決めている。それと同じだ。酔いが覚めて、自分が口にした正義感は思い出すだけでもゾッとする。

 

とはいえ自分の考えを持つことは、時に正解不正解よりも大事である。まだ解決できていないことというのは、どんなインテリ軍団でも解決できていないということなのだから、我々も彼らも同じ。しかし、その考えを元に実行してきた他者の経験がデータとして蓄積されていれば、それを分析してある程度まで方向性を示すことは可能なようである。それが統計学だ。

 

本書は大ヒットした『統計学が最強の学問である』の著者が、統計データをもとに日本の少子高齢化、貧困、経済成長などについて分析をしている。そして、それによって日本のとるべき政策も答えが出ているとさえ主張している。統計学は、どんなロジックや勘よりも高い確率で未来を予測できるようだ。

 

ノート1:社会保障

日本の財政逼迫の原因は社会保障費の増大である。約97兆円の歳入に対して社会保障費は32兆円にも上る。その8割は年金・医療・介護に割り当てられる。膨れあがる社会保障費を抑えるには、根本原因である少子化を食い止めることが最善の策である。労働所得を増やしてそれを社会保障費に回さなければならない。

 

OECD少子化の効果的な対策として4つあげている。その4つの施策のうち①家計が負担する子育てコストゼロ②保育園など公的保育サービスの拡充について、日本政府の支出は先進国最低レベルである。約2兆円ほどを①②に費やすことで、少子化は改善される可能性が高い。

 

ノート2:医療費

医療費の増大は高齢者の割合の増加よりも、さらにハイペースで伸びている。つまり高齢者一人あたりの医療費が増加している。一方で、増加した分の健康改善の効果は少なく、お金をかけたからといって寿命が延びたとは言えないようである。医療にも経済的手法を使ってコストと価値の評価をすることが大切である。コストの割に効果の弱い診療は、患者負担にするほうがお金を無駄にしない(混合診療が向いている)。

 

反対意見として、経済格差なく誰もが同じ治療を受けられなくなるという不平等論が出ているが、限られた予算の中では一人に効果のない治療をして、助かるはずの命が救えない可能性も出てくるので、公平不公平の議論は意味がない。

 

医療費の問題を、「病気の予防」から対策をとる方が有効である。つまり、予防に力を入れて病院に通う頻度を下げることが最善といえる。日本の場合、高齢者の雇用がキーになる。統計データによると、65歳以上の人は働くことによって、生活機能が充実し、幸せを感じ、寿命が延びるという事実がある。高齢者の就労率を上げることで介護期間を先延ばしし、医療費削減につながるはずだ。

 

ノート3:経済成長

低成長時代というフレーズで、「経済成長は諦めて、貧しいならば貧しい生活をするべきだ」という意見がみられるが、経済のパイが多くならない事態は深刻である。低成長は貧困を増やす。そして貧困は社会的コストが高まることが他国の例で明らかであり、経済の成長は必要不可欠。そして、今の社会保障制度を維持するのにも潤沢な税が必要だ。

 

少子化の中で経済成長するには生産性を高めるしかない。一人あたりのGDPは27位。世界3位の経済大国でありながら、豊かさでは小国の後塵を拝している。OECDのデータを見れば、原因は明らかだ。日本人のリテラシーは非常に高い。世界でトップクラスの頭脳を持っているにもかかわらず、日本政府の教育への支出は先進国で最低レベルである。研究や教育への投資が、生産性拡大をもたらし、年0.6%の成長は見込めるだろう。

 

確かに、「因果関係が不明で、日本では当てはまらないかもしれない」という反論はあるかもしれないが、時間をかけて議論している場合ではない。速やかにこうした分析結果をもとに仮説を立て検証していく必要がある。

 

感想

論理というのは、立場によって理屈を作ることができる。ある程度筋が通るから。しかし、データは事実である。これはどんなロジックよりも強い。そこに因果関係が見当たらなくても相関関係さえあれば、やってみる価値が出てくる。それが統計学の強みだ。ブログでも度々取り上げているが、数字に基づく分析と細かい改善が問題を解決するのには絶対に欠かせない。どこにどれだけ時間とお金を投資すれば効果が出るのか。延々と議論するよりもはるかに効率的なのだろう。

 

我々のような一般人が、社会を論じる時はそこまでしなくても良かろう。あれこれ喋っているのが楽しいのだから。事実で語られたら、何も言えなくなるのでは会話は味気ない。でもせっかく学んだのだから、次回、友人と飲むときには『日本の統計』と電卓でも持って行くとするか。やつめ、きっと面食らうに違いない。

 

OECDの統計データはすごい『武器としての人口減社会』を読む。

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アメリカの大統領選挙はトランプの勝利で幕を閉じた。彼の大統領としての資質はともかく、気になったのはメディアの予測が外れたことだ。データに基づいた予測が外れた。世論調査とは逆の結果になった。もうデータによる予測や分析は役に立たないのか。そういったコメントがアメリカのSNSなどでは流れているようだ。

 

実際そんなことない。時間的な推移、他者との比較は、経験や勘よりも正しく推測できるはずだ。大統領選挙の専門家は、過去の大統領選挙の傾向を分析して、トランプ氏の当選をあてているようだ。現政権の支持率、失業率などの変数が、政権交代に大きく関係しているらしい。

 

データによる客観的な分析こそが、正しい解決策を導く。少なくとも勘とか、世の中の流れで物事を判断するよりは確率は上がる。『武器としての人口減社会』は、少子高齢化が日本の難題であり、日本の未来を暗くしている、といった巷であふれる論調をデータでもって反証している。少子化こそが日本にとってのチャンスなのだと主張する。日本は素晴らしい、だからがんばろうぜ、という暑苦しいメッセージではなく、OECD経済協力開発機構)のデータを用いて日本のポテンシャルを明らかにして、社会変革を淡々と訴えているところに好感が持てた。

 

ノート1:少子高齢化を武器にするには

少子高齢化は、他の先進国や中国も近い将来、必ずぶち当たる課題である。一番先に少子高齢化社会を経験できる日本は、その経験とノウハウを武器に高齢化社会の成功事例を作れる。

 

労働人口が減るなかで、どうやって経済成長をしていけばよいのか。GDPは人口×一人あたりのGDPである。GDPを上げるには、人口を増やすか、生産性を上げるしかない。日本の場合、移民を増やさない限り、労働力不足を生産性の向上で補うしかない。日本にはそれをできるポテンシャルがあるとOECDのデータは教えてくれる。

 

第一に、情報通信技術(ICT)と人工知能(AI)が仕事をオートメーション化する。数年で消える職業がイギリスで発表されたが、日本のように失業率が低く、労働人口が少ない国では、AIができることはAIに任せて、人間にしかできない仕事に労働人口を集約することで生産性は向上する。ヨーロッパのように失業率が10%もあって、かつ安価な移民が多い国では脅威になるAIも、日本ではアドバンテージだ。

 

第二に、世界各国の成人力調査では、日本人はリテラシーが高く、とくに中高年齢層のスキルの高さ(読解力と数学的思考力)はOECD加盟国内でも圧倒的だ。それゆえ、新しい分野への労働移動も比較的スムーズに行くと予想される。OJTや公的な職業訓練をしっかり受けることで、新たなスキルを吸収する力がある。

 

第三に、女性の活躍にはまだまだ伸びしろがある。OECDの中で日本は、女性の労働参加率が低い。成人力調査の読解力と数学的思考力において、女性は加盟国中トップである。それにもかかわらず、女性管理職の割合は断トツで低い。そして男女の賃金格差も大きい。こうした部分を少なくともOECDの平均まで持っていくだけで、女性の労働力はより日本の力になり得る。

 

ノート2:日本が抱える課題

高いポテンシャルを持つ日本が、それを活かすためには二つの課題をクリアしなければならない。

 

一つは、労働市場流動性だ。日本はその企業文化からリストラをできるだけ行わない。終身雇用、年功序列を重んじてきた。その結果、あまり結果を出せずにもがいている労働者にも我慢して、適当なポジションに雇用して面倒を見てきた。しかし、能力ある人材を適材適所に配置するためには、別の会社で活躍させるという選択肢もあるべきである。セカンドチャンスがある仕組みを作るべき、その会社で上手くいかなかった人が別の会社で別の分野で活躍する芽を摘んでしまうのは日本全体の損失になる。

 

もう一つは、女性が活躍できる制度の改革だ。安倍政権ではウーマノミクスを掲げて女性の管理職の割合を増やそうとしているが、まずは子育てを社会全体でサポートする仕組みが欲しいところである。子育てにかかる費用への支援、保育施設の拡充などは急務である。企業側も企業制度を見直して育休や、復職などの条件を改善していく必要がある。

 

この二つは、いわば働き方革命である。セカンドチャンスをキャリアアップととらえ前向きに転職や復職ができる環境が整えば、生産性は上がるだろう。

 

感想

外資投資銀行のマネージャーを経て、OECDの東京センター長とは、著者の華々しいキャリアを見ると、キャリアウーマンだからこそ言える提言とも、とれないくもない。じっさい、そこまで意識高い系はそんなにいないのだから。しかしOECDとはこんなに面白いデータを取っているのか。今更ながら自分の国際感覚のなさを痛感した。

 

働き方はもっと自由でそして流動的であるべきだというのは賛成だ。企業には悪いが、労働者はどんどん企業で自分を磨き、ステップアップで違う会社に行くべきだろう。

 

自分が会社でうまく成果が出せないことは、「使えない」のではない。実際、自分の能力を活かせるポジションではなかったり、分野ではなかったりもする。多くの人は、次のポジションまで我慢して、結果よりも一生懸命働いていることをアピールする。クビにならないように、有給を取らず時にはサービス残業して存在感を示す。その結果、過労死といった取り返しのつかない事態にまで発展してしまうのではなかろうか。

 

「向いていないな」「ここでは自分の力を試せないとな」と思ったら思い切ってやめてみる。そして新天地でまたがんばる。そこで花開いたら、それこそ社会全体にとってのメリットだ。こうした心構えを労働者が持つには、企業側の姿勢が問題になってくる。著者も言うように、余った人材をもう一度市場に出し、適材適所に配分するのは社会貢献なのだ。経営者たるもの自分の企業ばかりではなく、社会全体を見る広い視野が欲しいものである。

 

 

新しい大統領の誕生『アメリカ政治の壁』を読む。

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8年前、アメリカ留学中の私はオレゴン州ポートランドでたまたま、オバマ上院議員(当時)の演説を聴いた。民主党予備選挙の真っ最中で、ヒラリー候補と接戦を繰り広げていた。そのときのオバマの勢いは凄まじいものがあり、ポートランド市は大混雑だった。これはチャンスとばかりに、支持者から「Next President of the U.S」というTシャツを買って川沿いの演説会場まで足を運んだ。

 

「ついにアフリカ系出身の大統領が誕生したのか。」本戦まで勝ち抜き、見事にNext President of the U.Sになった時には、毎年代わっていく自分の国の首相が選ばれる時の何倍も興奮したものだ。

 

あれから8年である。あの若々しく自信に満ちあふれた若干47歳のアフリカ系出身の大統領の姿はもうなかった。白髪が増え、しわが増え、一気に老けていった。病気なのではと疑いたくなるような変わり様だ。

 

超大国の政治を仕切るのはどれほど大変なことか。最近では有能な人ほど大統領になりたがらないといわれている。「CHANGE」と崇高な理想を掲げても何も変わらないことを知っているからだ。おそらく、今回の大統領選でも勝者がどちらになろうと、アメリカを、そして世界を変える指導者にはなり得まい。日本メディアも新大統領への期待と不安を報道するなか『アメリカ政治の壁』は冷ややかにアメリカ政治の構造的な問題を指摘している。

 

ノート1:大統領には政策を実現できる権力はない

・アメリカは三権分立が明確に区別されていて、日本の内閣のように行政から法案を出すことができない。それゆえ、大統領は政党に法案を出してもらうように交渉しなければならない。

・合衆国はあくまで州が国である。各国の代表が集まるような議会では政党が同じといえども、各州の利害調整が難しい。

・アメリカ政治の最大の特徴であり最大の壁は、合理的な政策とわかっていても、文化的理念的な壁に跳ね返されることである。

 

ノート2:砂田一郎氏の主張「利益の民主政」と「理念の民主政」

・「利益の民主政」:ある集団の利益、もしくは国益に適った政策を行う政治。

・「理念の民主政」:利益よりも守らねばならない価値観に焦点をあてて行う政治。

アメリカの政治はこの2つのせめぎあいの歴史である。

 

ノート3:「利益の民主政」と「理念の民主政」事例

オバマケア(国民皆保険制度に近いもの)

・利益の民主政:社会保障を整備することで全員が安心して生活ができる。社会が安定することで経済への好循環も生まれる。

・理念の民主政:『国家は必要以上に個人に干渉すべきではない』という伝統に反する。小さな政府論を支持する。

 

TPP自由貿易

・利益の民主政:国の産業と労働者を守ることが第一であるために反対する。

・理念の民主政:自由競争こそが平等であり、社会を幸せにする。それは他国も利益を享受できるというアメリカ資本主義の使命を果たすため賛成する。

 

イラク戦争

・利益の民主政:イラクの崩壊はイランのイスラム革命の拡大を許し、親米イスラエルにとって脅威になるので戦争すべきではない。

・理念の民主政:大量破壊兵器は人道的な立場から放ってはおけない。世界に民主主義の世界を広めていく使命があるので、リスクをとっても戦争すべきだ。

 

・砂田氏は、傾向として共和党=「理念の民主政」、民主党=「利益の民主政」としているが、著者によれば共和党、民主党どちらにも利益重視派、理念重視派がいる。また、課題によって使い分ける議員もいる。

・例えば、民主党カトリック教団体は、オバマケアに関しては低所得者の利益を考えて賛成の立場だが、人工中絶の是非に関しては民主党の支持する中絶の権利を、キリスト教の教義の立場から反対する。

 

ノート3:利益と理念のパラドックスが起こる背景

■州=国家という考え方

・アメリカは広大で州によって人口動態も文化も気候も違う。憲法から法律、税までバラバラである。それを議会で反映させるのは困難である。

・例えば、CO2排出量の削減をめぐっても、民主党内で意見が割れる。環境保護という人道的な立場から、企業の利益を削ってでも実施すべきと党内で意見をまとめようとしても、炭鉱労働者が多い州では州の利益を損なうためその出身議員は反対に回る。

 

■強いキリスト教

・アメリカはヨーロッパに比べても政教分離が弱い。大統領の条件として、人種や女性よりも宗教を気にする。クリスチャンであることが暗黙のルールになっている。

キリスト教徒は、人道的でリベラルな側面を持ち、貧困問題や環境問題などに関心を持つ一方で、厳しい宗教規律があり伝統的な価値観を壊されるのを恐れる保守的な面も持つ。

 

■多様な人種の多様な価値観

人種のるつぼアメリカでは、利害や価値観が一致するわけがない。だから敢えて、決めないというのも政治手法といえる。例えば、毎回議題にでる銃規制、同性婚、人工中絶など国が決めないことで、未解決のままにしておくことが、最大の政治的効果なのだ。

 

ノート4:大統領に期待していること

以上のことから、大統領には政策を作って行う権力はない。むしろ大統領はアメリカ人の代表という文化的な側面の方が強い。その時代のアメリカの象徴としてのリーダーといえる。だからこそ、およそ2年もかけて国民が参加して、候補者を選び、色々な要求を突きつけながら大統領を作っていくのだ。

  

 

リーダーを決めるのに2年かけるのは異常だし、どの国の選挙でもあんなには盛り上がらない。半分はお祭りみたいなものなのだろう。全員が全員、課題の政治的な解決を期待しているわけではないようだ。ただ、あーだこうだと言いながら自分たちが望むアメリカ人像を作っていく過程だとしたら面白い。2年という歳月をかけて、国民からメディアから色んなことを注文され、時には罵倒され、それでも期待に応えようとしながら、アメリカの方向性を見いだし大統領になっていく。

 

少し馬鹿らしく感じる一方で、うらやましさも感じる。日本では、国民がリーダーを作っている気がしない。気がついたら、選挙には党が公認した有名人なんかがでている。欲しくもない商品を並べられて「どれがいいですか」と言われる気分だ。国のリーダーなんか、いつの間にか我々が選んだ議員が、勝手に決めている。

 

しょうがないのだ。建国のプロセスが違いすぎる。お偉いさんたちが全部作ってくれた国と、革命を起こして自由と平等を勝ち取った国の差か。ないものねだりはこれくらいにして、新しい大統領誕生の瞬間を楽しもうではないか。

 

 

feuillant.hatenablog.com

 

 

狂気の時代の空気『海と毒薬』を読む。

三笠宮さまが逝去された。歴史家としての顔と皇軍参謀としての顔、両方を持つ。皇族の中でもリベラルであり、世界大戦での日本軍の風紀に疑問を呈し批判したことで、天皇びいきとされる右派からも猛烈な非難を浴びた人物。実際に中国・南京の軍参謀を務めていたこともあり、戦後も戦争に対して深く後悔していたという。南京大虐殺をめぐっては、虐殺はなかったとする歴史修正主義を「あれは紛れもなく犯罪である」と断罪している。戦争という特異な空気の中で、理性的な判断ができ、かつその他大勢とは異なる意見をハッキリ主張できる。あらためて三笠宮さまの偉大さを感じずにはいられない。

 

私たち庶民にとって社会の空気ほど大事なものはない。みんなと同じでなければいけないという、いわゆる「空気を読む」ではない。私が考えるのは、その時その社会に誰もが確認しあってできたわけではないが、いつの間にかできている価値観みたいなものだ。

 

例えば、「働き方」である。ひと昔前なら、残業は当たり前で、誰も何も言わなかった。しかし今は、「残業」が会社の評価につながるほどシビアに見られる。以前、上司に「今は残業削減が当たり前だから」と言われて、仕事を中断し帰宅したのを覚えている。どうしても残業が必要な時もあるだろう。でも、明日できないのか、別の人にふれないのか、となる。いわゆる「今はそういう時代だから」だ。

 

『海と毒薬』は、大戦中の大学病院で行われたアメリカ人捕虜の生体解剖実験の話である。(実話とは違うようだ)戦争という異様な雰囲気の中で、なぜ病院関係者は明らかな犯罪と知って人体実験を行ったのか。読んでみると、時代が作り出した空気の存在を考えずにはいられなかったのである。

 

ノート:生体解剖を行った人々

勝呂:本編の主人公である研修医。病院内での政治闘争に嫌気をさし、早く田舎で開業したいと思っている。初めて自分が担当した患者は、手術を控えていたが生存率はかなり厳しく、助からないことを知って絶望を感じている。多くの患者が死んでいく病院で、医者という職業に疑問を持ちながら働いているところ、アメリカ人捕虜を生きたまま解剖するという実験に誘われて参加することになる。しかし手術が始まると、生きた人間を解剖することへの罪悪感が芽生え、途中棄権する。

 

戸田:勝呂と同じ研修医である。父親も医者で、エリートとして育った。子どもの頃からどこか冷めていて、どうすれば大人が喜んでくれるかを熟知していた。そうした歪んだ性格は、医者になっても持ち合わせていて、死に対して淡泊な考えをもって患者と接している。今回の生体実験でも率先して参加する。勝呂とは違い、最後まで(捕虜が肺を切除されて死に至るまで)実験を手伝った。戸田はこの実験が、非人道的であり犯罪行為であることを認知しながらも良心の呵責を感じない。そのこと自体を戸田は恐ろしく思うようになる。自分の人間性に深い嫌悪感を覚えていく。

 

上田:元々、大学病院の看護婦だったが、結婚を機に夫の駐在する満州に移って暮らす。しかし子どもの流産、子宮の切除、夫の浮気など不幸が重なり、離婚後にふたたび大学病院に勤め始める。大学教授の奥さん(ドイツ人)が患者に対して人道的で献身的に接するのを見るたびに、彼女を憎むようになる。唯一の抵抗として、奥さんも知らない秘密を教授と共有することだ。奥さんが、教授が秘密裏にアメリカ人捕虜を解剖実験に使っているという事実を知らないことに興奮を覚える。

 

橋本教授:次期部長をめぐる病院内の選挙戦で、苦戦を強いられている。そんな中、自分が執刀した手術で失敗して患者を殺してしまう。手術ミス隠し、術後の様態の異変として取り繕うが、教授の権威は失墜し部長選でも厳しい立場に立たされる。名誉挽回のため軍医関係者と手を組みアメリカ人捕虜の解剖実験に手を染める。

 

読んでいくと、生体解剖に関わった医者・看護婦には心の闇を抱えていたり、政治的な思惑があったりすることがわかる。なるほど、事件が起きれば犯人の過去を掘り起こし、心の闇が事件の引き金になったとワイドショーが語る通りだ。

 

一方で、それぞれ事情が違っても、全員がこの実験が犯罪であることを知っていたのだ。なぜ、社会的にエリートであるはずの医師がこうした犯罪を行ったか。そういう「空気」だったからではなかったか。戦争で街は火の海、毎日多くの死者が出ていた。病院の患者もほとんどが治療の甲斐なく染んでいく時代だった。戸田の口癖「どうせ戦争で死ぬんだから」や「戦争で殺されるのも解剖で殺されるのも変わらない」は、今はそういう時代なんだと言わんばかりの説明だ。

 

結局、人間を導くのは空気な気がする。内面の弱さやもろさがあるとき、時代が後押ししてくれると感じられる。三笠宮さまのように、その空気に危険を感じ、それを周囲に伝えるのは並大抵のことではない。

 

「残業が悪」という空気ではなく、いかに生産性を上げるかという視点で経営判断したい。もしその残業で、良い成果が期待できるならGOサインを出そうではないか。空気の代わりに人を導く。リーダーの仕事とはそういうことかもしれない。

 

海と毒薬 (新潮文庫)
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遠藤 周作
新潮社

過労死なんてゴメンだ『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』を読む。

電通社員の自殺によって、改めて日本人の働き方が話題にあがっている。私もかつて大手企業で働いた経験があり、朝から晩までがむしゃらに働いていた身なので他人事とは思えなかった。日本の労働問題といえば、ブラック企業とか過労死という言葉に象徴される「働きすぎ」に集約されるだろう。

 

プライベートを削ってでも組織のために、時間の限り働く。働き過ぎると、組織に迷惑がかかるのでサービス残業をする。上からのプレッシャーと、組織内の空気が、帰ることを許さない。みんなが自分を犠牲にして働いている割に、日本の経済はぱっとしない。日本経済の落ち込みの原因は生産性の低さにあると指摘する専門家も多い。日本では10年以上も平均給与が上がらない状態だそうで、20年前の30代の給与よりも今の30代の給与はずっと低いというデータもあるようだ。真偽のほどはともかく、滅私奉公でも報われないなんて悲しすぎる。

 

悲壮感漂う日本社会とは対照的に、効率的に働いて経済を上手く回している国がある。ドイツだ。最近、EU問題などで国際的なプレゼンスを高め、再び台頭してきたヨーロッパの雄。かつて戦後の復興プロセス、ものづくり大国、勤勉な国民性など奇妙な類似性から比較されてきたドイツに、「働く」という点で大きく水をあけられている。ドイツ在住のジャーナリストからこの国について学ばせてもらうことにしよう。

 

ノート1:ドイツの労働事情

・1年に最低24日の有給休暇を労働者に与えることと法律で定められている。しかも、有休の消化率はほぼ100%である。

・1日8時間の労働が法律で定められていて、企業はこの厳守を徹底している。

・1年間のサバティカル休暇(給与をもらわずに1年休む)の取得率も高い。

・育休制度も充実していて、最大3年間の休暇をもらえる。その間は、企業にかわって政府が労働者に給与の67%を支払う。

 

ノート2:効率の良さ

・1年間に30日以上有給休暇を取りながらも、ヨーロッパNo1、世界4位の経済大国である。

・一人あたりのGDPは43108ドル。(日本36069ドル)

・一人あたりの年間労働時間は1393時間。(日本は1745時間で約44日の差がある。)

・一人あたりが1時間労働で生み出すGDPは61.4ドル。(日本40.9ドル。)

失業率も4%:経済学上は完全雇用状態。

財政赤字0を達成し、国の抱える借金が無い状態。(日本1000兆円を超える。)

 

借金しなくても、働き過ぎなくても経済は成長している。ちなみにアベノミクスによる財政出動と、労働者に働かせまくって経済を成長させようとしている日本とは真逆だ。

 

ノート3:ドイツの働き方がうまくいっている理由

【法律】

法令遵守がしっかりしている。厳しい罰則を課したり、労働監査の抜き打ちが定期的に行われたりしている。(ちなみに、日本では自殺者がでたら労働局が監査に入る。)

・労働者一人一人が企業と雇用契約を結ぶ。(正社員でも契約書が必要である。)

・法令が、経営者に労働者への保護を義務づけている。(労働環境を整備するのも経営者の責務。)

労働組合が強い権力を持ち、監査に介入できる権限を持つ。

 

【ドイツ人の性格】

・規律を重んじるので、法令にはしっかり従う。個人主義が強いため、仲間内の暗黙のルールは存在せず、法律が厳格なルールになる。

・企業よりも個人の生き方を重視する。自分の人生設計がしっかりしていて、プライベートと仕事は区別する。

成果主義を重んじ、やみくもに仕事を行うのではなく、得られる効果・利益を考えて行動する。

・リッチはお金だけではなく、時間の余裕がある人という概念。忙しそうにしている人は評価されない。

 

【国家戦略】

シュレーダー政権のアジェンダで、企業の収益を増やすための施策を長期に計画し実行した。

・インダストリー4.0というIoT戦略を経済戦略に添えた。

労働人口の減少に備えて、海外からの労働者を受け入れる移民政策を行った。

・労働者への失業手当、職業斡旋、職業訓練、アルバイトの最低賃金の設定など、徹底して行った。

 

感想

絶好調のドイツと比較してみると、日本の働き方には構造的な問題があるようだ。

・労働に関しての法律の不徹底。(法治国家なのにこと労働に対しては緩い。)

・経営者のへぼさ。仕組みが作れない。(労働者の力量にたよりすぎる。)

・国家戦略のなさ。(問題が起きたら法律つくりましょう。景気が悪いので、とりあえず消費税上げるのをやめましょう。)

 

サロン経営にあたって、誰がやっても同じクオリティのサービスを提供できるお店づくりを提唱してきた。マニュアルを作り込んで仕組みを作ろうとしたのだ。その方が効率が良い。しかし、スタッフの反応はいまいち。なぜかというと、「誰でもできる」=「自分は要らない」と感じるらしい。有給を使って長期休暇を取らないのは、環境のせいもあるかもしれないが、「自分が必要とされない」と思われるのが怖いだけなのかもしれない。自分がいなくても会社が回ることがわかったら、必要ないよってことだから。だから「自分がやらなきゃ誰もできない感」「自分、過酷な環境でがんばってます感」を出す。

 

会社の一従業員から経営者になり、そういう視点で見るようになった。労働環境の劣悪さは確かに日本社会の構造的な問題ではあるが、やっぱり個人個人の労働に対する姿勢が問われているのだ。私もふくめて、自分の人生戦略を持っていない人が多い。「どういう人生を送りたいか」は「どの企業で働きたいか、年収はいくらがいいか」とは質が違う。「安定した生活を」は答えではない。もっと哲学的な質問だ。それがわかれば、自ずと働き方も変わっていく気がする。目標もなく、働くことで自分を認めてもらいたいというだけの中途半端なナルシシズムが自己破壊を招いている気がする。