ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

コンビニの未来が楽しみだ 『セブンイ・レブン1号店 繁盛する商い』を読む。

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ネット通販大手のアマゾン・ドットコムが、本拠地シアトルに食料品を扱う実店舗を出した。面積167平方メートルの店舗にはレジや精算カウンターがない。アマゾンのIDで店舗に入って、商品を棚から取って、袋に入れて帰るだけ。センサーにより棚から取った商品を探知し計算して、合計金額を買い物客の指定の口座から引き落とす。棚に戻せば、センサーによって取り消しもされる。そんな仕組みだそうだ。

 

あくまで実験らしいので実用化して、店舗展開するかは不明である。このCMをYoutubeで見た。Suicaで駅構内に入る感覚でスマホをピッとかざして入店して、商品を好きなだけとって、ピッてタッチして去って行く。これには、商売をやっている身としてはかなりの衝撃を受けた。実店舗でレジに並ばないなんて。コンビニとかで、待たされるあのイライラ感から解放されるのだ。セルフレジのように、自分でバーコードをかざしてもなかなか読み込まなくて、結局時間がかかって、並んだ方がマシと後悔することもなくなるのだ。

 

アマゾンもそうだが、アメリカの企業というのは本当に考えることが大胆だ。並ぶのは我慢、少しの不便くらいでイライラしない、という考えが美徳とされる日本では、この発想は生まれないだろう。しかし、日本人はアメリカの真似するのは得意だから、将来的にはこうしたAI技術を使って無人の、しかもレジなしのコンビニなんかもできるのかもしれない。

 

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国だって万能ではない 『愛国の作法』を読む。

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久々におぞましい映像を見た。幼稚園児が「安保法制の成立おめでとうございます」などと言っている。「がんばれ安倍総理」なんて叫んでいる。これには開いた口がふさがらなかった。口に入れようとした白米が箸から滑り落ちたのである。

 

教育というより洗脳だ。何でもその幼稚園を運営する学校法人が、政治家への口利きで安く土地を購入して小学校を建てるらしい。

 

私は自由主義者なので、自分で考え自分の意思で行動できる子どもを育てたい。そろそろ選択肢として別の国も視野に入れた方が良さそうだ。私の娘は待機児童である。早いとこ保育所増やして欲しいと思う反面、こういう現状を見ると保育所も数じゃなく質だよなと思ってしまう。

 

政治家に言わせれば、「これは国を愛するための教育だ」ということになるのだろうか。「愛国」という言葉は危険な臭いがする。「日本は素晴らしい」「日本は特別な国」「日本人にはもののあはれという感情がある」こういった類いの主張が登場するからだ。ハッキリ言って気持ち悪い。私も日本人なのでこの国が好きだ。好きだからこそ、もっといい国になって欲しいと願うのだ。欠点はあって当たり前。

 

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我々は自分が思うほど自由ではない 『寝ながら学べる構造主義』を読む。

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娘には是非とも英語をマスターして欲しい。およそ20年間の教育を受けてさえも英語を話せなかった親としてのたっての希望である。

どれだけ時間を無駄にしたのか。教育という名の下、This is a pen.から始まった莫大な投資は、完全な失敗に終わったのである。もちろん効果が出ない時点で撤退も考えた。英語にお金と時間をかけるなら、自分の得意な科目にかけるべきだったのだ。

しかし、どういうわけか英語に執着し、英会話に行き、TOEICを受け、留学までした。義務教育で慣らされた英語絶対論に毒されていたのだろう。それとも「ここまでやって無駄に出来るか」と思ったのであろう。

学校教育というシステムに組み込まれている以上、中学校で「俺は英語は向いてなさそうだから、数学の時間を増やしてください」とは言えまい。「効果が出ないのでやめます」という選択肢がない。英語教師の善し悪しを判断できる能力もない。

悲しいかな、自分の能力を高めるための教育が足かせとなり、英語ができないという劣等感だけが産まれ、英語の代わりに費やすべき時間とお金で手に入れることが出来たであろう私の隠れた才能は開花せずに終わったのである。

恨み節はここまでにしておき、『寝ながら学べる構造主義』のまとめを記しておきたい。我々は意識する、しないに関わらず、行動・思考が制約を受けている。しかし、おおよそそれには気づかない。自分が正しいと思う判断は、自分が考えたモノではない。

自分がとった行動さえも自分の意思ではない。英語の勉強を「絶対に役に立つ」と思って、無駄に頑張り続けた自分さえ、自分の意思ではないのかもしれない。そんな恐ろしい構造主義について学んでみた。

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欲に正直に生きる 『野心のすすめ』を読む。

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働く女性との縁は深い。母はずっと公務員。妻もバリバリのキャリアウーマン。私はエステサロンを経営している。前職も女性が6割以上の会社に勤めていた。それゆえに、女性の働き方には理解がある方だと自負している。

 

こないだ、アルバイトスタッフから労働時間の短縮をお願いされた。夫の扶養に入っているため、あまり働き過ぎないようにしたいそうだ。小学生と幼稚園の子どもがいて、ギリギリで生活している。確かに中途半端な労働時間ほど損をする。正社員として自ら社保に入って働いた方が得だ。しかしそこまで踏ん切りはつかない。子ども達がせめて中学を卒業してくれればエステティシャンとして独立したいと考えている。

 

あと10年。その頃には彼女も40を過ぎるだろう。果たしてそこまでアルバイトでモチベーションを保てるのか。本当はもっと働きたい、独立したいという願望があるにもかかわらず我慢を強いられる環境を話されると、男は何も言えまい。もっと男が働いて稼げよ。奥さんを楽させてあげろよ。そんな声がどこからともなく聞こえてきた。

 

人生は苦難の連続だ。みんな我慢しながら生きていくのだ。しかし、願望を抑えることが健全な我慢なのか。願望を叶えるために苦労することが我慢だと思うのだが。

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この選択肢はどうだろう 『戦争する国にしないための中立国入門』を読む。

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安倍首相は南スーダンでのPKO活動で自衛隊に死者が出た場合、辞任する意向を示したようだ。国連南スーダンの治安は非常に悪化しているとして警戒を呼びかけている。南スーダンでの活動報告書も破棄されたとかで防衛省隠蔽工作が疑われている。

 

いよいよ自衛隊の死を肌で感じる事態にまでなってきたか。遠い国の紛争解決を手伝いに行って、武力衝突が起こる可能性がでてくるとは、防衛大に進んだ高校時代の同級生の口にしていた「専守防衛」がむなしく聞こえる。

 

政府は「国民が戦争に巻き込まれないために」憲法第9条の解釈を変えて、集団的自衛権の行使を自衛隊に許した。しかし、国民が戦争に巻き込まれない方法とは集団的自衛権だけしかないのか。他の方法よりもベストな選択なのか。他の可能性も考えた結果の結論なのか。

 

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国谷さんからのメッセージ 『キャスターという仕事』を読む。

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録画している動画がハードディスクの容量いっぱいになった。もはや、一刻の猶予も許されない。このままでは、奥さんが観たいと言っていたドラマを録れないではないか。最近多忙を極めている我が夫婦は全くテレビを観ていなかった。週末にまとめて観るはずのドラマ達がテレビ下の小さな箱に、たまりにたまっていたのだった。

 

毎回ドラマを1話観て、取捨選択をするのだ。今クールも話題作が豊富だ。とはいえ、3話くらい話進んでいる。気が気ではない。もういい加減ドラマなんて、とよく言われる。奥さんとの唯一共通の趣味だと言えば同情されるだろうか。ドラマが我々の仲を取り持つ最適なコンテンツなのだ。ドラマをエンタテイメントとしてしか捉えられない人には、我々夫婦にとっての価値など見いだせまい。

 

とにかく方法は2つだ。時間を作って観るか。古いものを削除するか。古いものを残している理由は簡単だ。価値があるからだ。それを削除するのは非常に痛みを伴う。

 

といいながら、録画動画をチェックしてみると懐かしい番組が見つかった。『クローズアップ現代』の最終回だ。

 

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混沌がもたらすもの『応仁の乱』を読む。

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応仁の乱って!」思わず声が出てしまった。「人よむなしい」で覚えたあの1467年の大乱の文字が、20年の時を超えて私の目の前に現れたのだ。高校以来久しぶりに出くわした懐かしい響きからか、思わず手に取ってしまった。

 

高校生とは大概こんなものだろうと思うのだが、応仁の乱という言葉が、なぜかかっこよく聞こえた。平成という元号よりも、昔の元号のほうがイケてるな、と思ったものだ。

 

さて20年経って、相変わらず「懐かしい」なんて興奮しているところを客観的に見ると、人間の本質は変わらないのだと思ってしまう。しかし、こっちも高校生じゃない、一応社会の荒波に揉まれてきた大人だ。「懐かしい」だけで終わらせてなるものか。

 

なぜ今更、新書になったのか?新しい発見でもされたのか?という疑問がわいた。と同時に、応仁の乱って何だったのか、という自分の無知に改めて気づかされた。これも何かの縁。久々に日本史を勉強しようかと、大人になった私は再び応仁の乱と相まみえることとなった。

 

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