ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

人間は矛盾した生き物である『自由と秩序』を読む。

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最近、いわゆる意識高い系の友人から、News Picksというキュレーションメディアを紹介された。新聞から雑誌まで、ユーザーが気になる記事が羅列されている。そして、Picker(ピッカー)という人たちが、その記事に対してコメントを書いている。

Facebookよろしく「いいね」ボタンまでついている。ピッカーは基本的に実名である。匿名性がない分、書いたことには責任を持たなければならない。「なるほど」と思いながら、友人が書いたコメントの誤字脱字を探している。相変わらず性根が曲がっている。

 

国会議員のお偉いさんや、会社の社長、ホリエモンなど著名人もPro-Pickerとして登場する。言わずもがな、彼らのコメントには異常なほどに「いいね」がついているし、記事に対する議論も活発である。キュレーションメディアだから、おいしい記事をかいつまんで読めるという効率性はうれしい限りだ。

しかし、よくもまあ、色んな記事に目を通して、長文でコメントをずらずらと書いておられるなあと、そっちのほうに関心がいってしまう。彼らは暇なのか。

 

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インテリは権力に弱い 『服従』を読む。

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5月に入ってフランス、韓国で大統領選挙が行われた。特にフランスでは、国民戦線のルペン候補に注目が集まったが、結局は大方の予想通りマクロン候補が勝った。フランス史上最年少の38歳だそうだ。自分とほとんど変わらない。奥さんが64歳という事実に、我々夫婦は愕然。そして、義理の息子がマクロンよりも年上。「さすが、自由・平等・博愛の国」と先進国のすばらしさを手放しで称賛した。

どの国も分断の危機である。貧富の差が開いているのも原因だ。アメリカでは白人労働者階級がトランプ大統領を支持し、インテリ層のヒラリー候補を破った。イギリスでもEU離脱を巡って、経済界と労働者階級で票が割れた。

フランスでは移民問題を巡って、移民排斥とEU離脱を目指すルペン氏と、親EU派のマクロン候補で最終決戦が行われた。

 

このブログでも何度か書いたが、最近の選挙ではポピュリズムという言葉が必ず登場する。メディアでも度々ポピュリズムは取り上げられ、本屋に行けば反知性主義に陥らないための教養コーナーなるものまで設置されている。

反知性主義ポピュリズムが、大衆迎合な政治手法であるならば、一般大衆とインテリ層の対立という構図なのだろうか。だいたい、我々大衆側が、俺たちは反知性主義だ、と自認して候補者を応援するわけではない。ポピュリズムとか無教養とかと言葉をつけたがるのは、たいがいインテリ軍団だ。メディア、大学教授、あとはどの雑誌にもご意見番で登場するような、「自分知識持ってますよ」集団であろう。

 

かくいう私も、大衆に埋もれたくない、世の中に踊らされたくないと思っている一人だ。しかし、知識の量・社会的な地位で区分されれば、断然大衆の一人である。

その他大多数が悪いわけではない。統計学では大数の法則なるものがある。大多数の意見は、一般的には正しいとされるのだ。

一方で、心のどこかでインテリに憧れている。知識も知恵もあって、社会的に認められる人間ならば判断は間違わない。より冷静に状況を見極め、適切に課題を解決する優れた能力を持っているのだろうと。

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ストレスは親の勲章か『子育てに効くマインドフルネス』を読む。

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子どもが保育園に入って1ヵ月が経つ。1歳半からのスタートだったため、なかなか決まらなかった。いわゆる待機児童で、3月までは託児所で数時間預かってもらっていた。

 

申請書を持って役所に行くと「候補を5つ記入してください」と言われた。「5つもないですよ。」と応えると「そうすると難しいです。とにかく近場の保育園は希望として全部記入してください」と脅してくる。

 

返す刀で「いやいや。こっちも大事な子どもを預かるんだから、近いという理由だけで候補を絞っているわけではないので、書きません」ときっぱり断ってやった。全くこれだから父親はという顔をしたあと、「本日は奥さまは一緒じゃないのですか」と聞いてくる。

 

「妻は仕事復帰して忙しいのです。会社経営している私のほうが自由に動けるので来ました」と応えた。「保育園選びは父親ではダメだ」と思われているようで悔しかった。

 

結局、絞りに絞った3候補を提出し、最終選考の結果、見事、第二候補の保育園に入れたのである。ようやく、子どもを預けて夫婦揃ってがっつり働く機会を得たのだ。

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地球の歴史から温暖化を考える『人類と気候の10万年史』を読む。

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気づけばもうゴールデンウィークだ。今年も特に予定を立てなかった。地域によって連休をずらして混雑を解消するなんていう話は、もはや聞かなくなった。頓挫したのだろうか。渋滞も嫌い、行列も嫌い。『どこが人口減少社会だ、もっと人なんか減ればいい』と思わず毒づいてしまうので、人が集まるところは避けて近場で娘と遊ぶことにした。草むらで寝っ転がりながら小説でも読むとしよう。

 

休みと言えば、今年も花見ができなかった。ちょうど見頃の時期にとんでもない風雨によって散ってしまった。その前の週末は、娘が熱を出して終日家から7分くらいの桜を眺めたのが最後だ。春らしい心地がしないまま、外を歩けばみんな夏服である。四季の移ろいはどこに行ったのだろうか。

 

温暖化によって気温はますます上昇している。温室効果ガスを抑えないと、21世紀末には約2.6~4.8℃上昇するそうだ。(気象庁ホームページ)毎回ニュースで流れる、帰省ラッシュでの渋滞の映像を見ると、なるほどCO2がどんどん増えていくわけだと思うのである。地球温暖化は人間の活動によるもの、というのが定説であるようだ。であれば人口減の日本は、温室効果ガス削減に貢献していると言えるのか。またくだらない話題からあれこれ考え始めて、気候についての本を読んでみることにした。

 

温暖化を考える時、20世紀と21世紀を比べることが多い。もしくは長くても人類誕生後の地球を想定している。しかしながら、地球の歴史は遙か大昔までさかのぼれるのだ。それこそ億年単位だ。人類が警告している気温上昇は、地球の歴史規模で見たとき果たして異常なのか。本書は、温暖化問題を考える上で、人類の歴史ではなく、地球の歴史という別の視点を与えてくれる。

 

ノート1:地球の歴史からみた現代

地球を5億年前までさかのぼり、気温を調べた結果、現代は寒冷であるとい結論に達する。例えば2億1000万年前は、今より10℃気温が高い。5億年の間、激しい気候変動を何度も繰り返してきた。温暖な時代もあったが、ある限度以上の温暖化は起こっていない。

 

さらに短く、過去80万年を振り返ると、9割は氷期である。現代と同等に温かい時代は1割である。現代は氷期氷期の間である比較的温かい間氷期と呼ばれる。

 

これまでの研究から地球は10万年単位で氷期と温暖期を繰り返すことがわかっている。過去の間氷期は2万3000年くらいである。過去、氷期の終わりには急激な温暖化を記録する。地球の温暖化は人間活動の要因以外にも、地球内のパワーによるところが大きい。現代は間氷期の終わり頃であり、温暖化よりも新たな氷期に突入すると予測される。

 

ノート2:気候変動にパターンはあるのか

ミランコビッチ理論は気候変動の原因を説明する、最も説得力のある理論である。ミランコビッチ理論によれば、地球の公転・自転が気候変動に大きく関係している。

 

地球の公転軌道の変化とは次の通りだ。太陽の周りを回る地球の軌道は、楕円から真円に変化する。楕円の時は、夏に太陽に近づきエネルギーを吸収するため、温暖になる。真円に近づけば近づくほど寒冷化する。それが10万年単位で起きている。公転に加えて、地球の自転、つまり地軸の傾きと、向きも定期的に変化する。太陽に近づく部分が変わるので当然、気候に影響する。

 

大枠として、10万年単位で氷期に入ることはミランコビッチ理論で予測できるが、具体的にいつから氷期に入るか、寒暖の差が激しい不安定な気候がどのくらい続くのかはわからない。

 

ノート3:より正確に気候の歴史を知る調査

地質学のより正確な時間を知るために、著者のプロジェクトチームは福井県水月湖から見つかった縞模様の堆積物の調査を行っている。水月湖は世界にもまれに見るほど、ピュアな堆積物が入手できる。理由としては湖底に酸素がなく、堆積物を浸食する生物が少ないことが挙げられる。

 

その地層に含まれる花粉の化石を通して、その時代の植物を知ることができる。植物によってその時代の気候がわかる。ある地層からは針葉樹が、別の層からは広葉樹がでれば、時代と共に気候が変わったことが把握できるというわけである。福井県あたりでも、時代によって生えている植物が違うことが明らかになった。

 

ノート4:気候変動と人類の活動の関係

10万年ごとに氷期が来る。現代は間氷期の終わりである。しかし、気温は上昇し続けている。これはどういうことか。人類の活動が氷期を遅らせているという説がある。根拠になっているのは、人類登場以降、メタンとCO2が増えているという事実である。

 

ミランコビッチ理論では、氷期に入るにしたがってメタンとCO2も減少するはずだった。メタンは水田農業、CO2は森林伐採と関係があるようだ。人間が爆発的な人口増加によって安定的な食料を確保し、住む場所を確保するために取った行動が、とっくに来ていたはずの氷期を遅らせているという考えもある。

 

一方で、地球自体が氷期の終わりに起こす温暖化の一つとも考えられる。人間の活動がどの程度、大自然の現象を壊すことができるかはわからない。

 

寒冷化を考えると、異常気象が毎年起こる場合には、先進国といえども大きな被害を受けるのは間違いない。農耕は食料不足に弱い。一方で、狩猟は気候の変動によって、狩るべき獲物を変えることができるため、適応できる。

 

氷期を経験した人類の祖先は、そのことを熟知して農耕をあえて起こさなかったとの見方もできる。人類の発展と農耕という通説とは相容れない意見ではあるが、氷期に備えて、昔の人類の生活、原住民の知恵から学ぶこともできるかもしれない。

 

もうすでに来ているはずの氷期を、人類の進歩が遅らせていた。これが事実であるならば、温暖化はむしろ正義である。それをやめたら、寒い氷期に突入するかもしれないのだ。とはいえ、人間が自然を破壊し、生態系を崩してきたのも事実である。地球が予測通りに動かなくなる原因を作ったのも頷ける。

 

個人的には温かい方がいいので、できるならこのまま快適な気候で生きていきたいものである。

 

著者によれば、1993年の冷夏のような現象が2年、3年と続いたらいくら先進国といえども多くの被害を受けることになるという。つまり食糧に困って多くの人が死ぬということであろう。パニックものの映画をよく観る。人類は自然に勝てない。みんな仲良く死ぬのみだ。

 

新緑のシーズンだ。近くの山にハイキングなどに出かけて、自然のありがたみを感じる連休にしよう。

 

その分析は何のため? 『会社を変える分析の力』を読む。

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最近、お昼はテレビを見ている。この時間帯にやっているのは、お笑い芸人のロケ番組か、徹子の部屋か、ワイドショーくらいだ。そう言えばお昼の顔は、タモリからナンチャンになっていた。500円そこらの弁当を食べているのに、東京の人気グルメなんか見せられたら、それも品のない食べ方で「うまっ」とか言っている芸人を見せられたら、ますます食べる気を失うので、ワイドショーを見る。

 

北朝鮮問題に詳しい方々が連日、朝鮮有事の可能性について見解を述べておられる。アメリカの思惑、北朝鮮の挑発行為の意図、中国がどう動くかなど、まあよくもあれだけ詳しく分析して視聴者に提供してくれるものだ。さすがプロの専門家だ。我々が知らない情報を教えてくれる。きっと、あらゆる手段を使って情報を入手し、深い考察のもと分析をしてきたのだろう。

 

しかし一方で、もっと他にニュースないの、時間割きすぎじゃないか、とも思ってしまう。こう言ってしまうと、日本が戦争に巻き込まれる可能性があるのに無関心ではいられまい、と返事が返って来そうだ。

 

せっかく素晴らしい分析をしているんだから、北朝鮮のアナウンサーのマネをしたり、リーダーの髪型を笑ったりするような野次馬丸出しの私に語るよりも、政府にアドバイスすればいいのに。

 

情報を伝えてくれるのはありがたい。世の中で起きていることを知りたい、知っていなくてはいけない、そういう欲求とか使命感のようなものは持ち合わせている。それにもやはり限度がある。コメンテーターに、「日本政府はこう対処すべきだ」「Xデーはいつだ」と言われても、「なるほど~」で終わる。そこまでは必要ない。私は、国を動かす人間ではないのでXデーが迫っても、逃げるしかない。

 

本書はビジネスの現場における「分析」のあり方がテーマであるが、「何のために分析をするのか」は分野に関わらず考えなければいけない。最近もてはやされているデータサイエンス・ビッグデータ。データ分析はその手法に目が行きがちだ。

 

しかし分析の価値はどれだけデータからキレイな法則を見いだせたか、色んな情報から将来の予測ができたかではない。まして、「どうですか、凄い分析でしょ」と自分の分析力をひけらかすことでもない。分析の本質は意思決定にあるのだ。3年前に読んだ本をもう一度読むことにした。

 

ノート1:分析の価値

分析の価値=「意思決定への寄与度」×「意思決定の重要性」(p.27) 

 

分析には数学が得意でなければならない、難しい分析モデルが優れている、はすべてズレている。分析で重要なのは、分析で何がわかったか、意思決定にどう役立つのか、である。分厚い報告書も、難しい数式も使ってもらわなければ意味がない。あくまで分析モデルはモデルであり現物とは違う。

 

それゆえに、予期せぬ結果が起こりうることは想定しておくことは大切である。ノーベル賞を取った経済学者が自信のモデルに当てはめて資産運用を行った会社は、モデルから逸脱した出来事が起こったことで倒産した。モデルを現物と勘違いすることは危険である。

 

ノート2:分析の手順

ビジネス課題を見つける→分析問題を解く→数値解を示して使ってもらう→それによって意思決定に役立つ。課題発見力・分析力・実行力の3つが揃って始めて分析に意味がある。

 

そのためにも、机に座ってデータとにらめっこするだけではなく、ビジネス視点に立って発想すること、現場の人から話を聞くこと、意思決定者が動きやすい提案にすることを心がけなければならない。

 

ノート3:勘・経験・度胸を侮らない

これらを非合理的であると切り捨てることはしないほうがよい。特に複雑で将来の予測が難しい時にこそ、現場の勘・経験・度胸のほうが正しい意思決定を行えることもある。データ分析に謙虚であるとともに、現場の声・意見に耳を傾けるべきである。

 

世の中の情報は膨大である。しかもインターネットが、情報へのアクセスを可能にした。誰もが色んな情報に触れることができる。それを集めて分析をすればかなり高度な予測や法則を見出すこともできるのである。母数が増えれば正規分布に近づく。

 

しかし、それでも予期せぬことはたくさん起きる。優秀な経済学者達でさえリーマン・ショックを予測できなかった。原子力委員会東京電力もとてつもない津波が来ることを予測できなかった。分析した人間は「想定外のことが起きた」と弁解する。

 

 

高校の時は、数学でキレイに答えがでたり、式が作れたりすると嬉しくなった。しかも、それが正解だった。データ分析ではこうした感覚を持ってしまうと危険だということだ。現実社会に正解はない。そして、分析結果をもとに行動しなければ意味がないのである。現状を変えるために、次にどう行動するかを決めるために分析はある。

 

たかだか1時間程度のワイドショーを見ていて、なぜか気になってしまった。直接の意思決定者ではない我々に北朝鮮政策について熱く語られても、何も変わらない。我々の意思決定は、せいぜい「危ないから核シェルターを買う」だ。

 

1週間、同じ人がずっと同じ事を話しているから、結局「徹子の部屋」にした。ル~ルル、ルルルルルル~♪ 朝鮮有事の裏側では平和が続いているようだ。

 

サザエさんが泣いている『企業不祥事はなぜ起きるのか』を読む。

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小学校での成績は抜群によかった。ほとんどいつも満点だ。勉強しなくてもできることが自慢だった。学校から帰ると夕飯前までがっつり友達と遊んで、風呂に入って寝るだけだった。友達も同じように家に帰れば疲れて勉強なんてできない状況だったから、なおさら私と友達の学力の差がついた。

 

ある時、理科で80点を取ってしまったことがあった。80点でも平均点よりは上だ。普通の子どもならば喜ぶであろう。しかし、自分がなまじっか頭いいと思っているうぬぼれ屋だから、80点はショックだった。そして、親にバレるのが怖くなり、いつもならテストを自信満々に見せるのに、ひっそりと机の中に隠してしまった。まるでテストがなかったかのように。

 

隠蔽やごまかしとはこうした事が癖になって身につくのだろうか。東芝がなかなか決算の承認が得られず、再び発表を延期するようだ。延期回避の苦肉の策として監査なしで決算発表するとの報道も出ている。とんでもない負債を抱えることになり自暴自棄になっているのか。もはや何でもありだ。

 

日本メーカーを代表するブランドが、粉飾決算を隠し続けた挙げ句、もうどうせ上場廃止だからという諦めで「監査なしでよくない?」と開き直ったのにはがっかりだ。気のせいか、今使っている東芝の掃除機の吸引がすこぶる悪い。

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読書は頭の鍛錬だ 『わかったつもり』を読む。

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怒濤のような3月が終わり、新年度だ。日本では1月と4月が年のはじめである。4月からの手帳も売っているくらいだ。1月で躓いたら、4月から挽回できる。そういう意味では、もう一度「今年こそ」と目標を確認するのも悪くない。年を重ねるたびに、時間が経つのが早く感じる。忙しいからなのか、世の中の変化のスピードが速いからなのか。

 

3月は忙しくて新聞もろくに読んでいなかったので、少しばかり世の中に疎くなっている。それでもなんとかついて行けていると思ってもいる。新聞を読まなくても、見だしを見れば内容はわかる。雑誌・ビジネス本は特に飛ばし読み。それでも内容はつかめる。全部を読まなくてもいい、欲しい情報が見つかれば。全体像が見えれば。

 

情報が多くて、世の中の動きが早い社会では、こうした読み方は効率的である。忙しい環境で情報・知識を取りに行くと、結果的にこうなってしまったのだが、「短い時間で最大のアウトプットを」と謳う、流行の生産性の観点から見れば正しいのだろう。

 

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