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ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

『学びとは何か』を読む。

今になって始まったことではないが、英語が苦手だ。といっても英語の成績は優秀だった。センター試験だっていい点とれていた。TOEICTOEFLだってそんなに悪くはない。単語も結構知っているほうだ。でもなぜか話せない。話す前に相手が何言っているかわからないのである。相手を理解できないなんて致命的だ。何度も聞き返すと、「おまえ耳鼻科行けよ」と突っ込みが入るのではないかとおびえてしまう。結局いつもうまく愛想笑いでごまかしてきた。それにもほとほと嫌気がさして、最近では「話しかけるな」オーラを全開に、あたかもあなたには興味ありませんと言わんばかりの無視を決めてみせるのである。

 

思えば、これまで色んなことを学んできた。小学校から大学院まで数えれば約20年、学習の機会に恵まれていた。社会人になってからも資格を取るために勉強もした。これだけの時間を費やしたにもかかわらず、自分が自信をもって熟達したものを主張できない。決して謙遜しているのではない。本当にないのだ。これは一体どういうことなのか。何もできないのでもない。秀でるものがないのだ。これから40代を迎えるにはあまりにも寂しい自分の持ち札に焦燥している。

 

『学びとは何か』はまさにこの悩める中年に希望と絶望を味わわせてくれる良書だ。特にビジネスマンになってから、「学校の知識なんか役に立たない」、「論理的思考や地頭がモノを言うのだ」と教えられてきた。勉強ばっかりしているやつは頭でっかちだとも揶揄される。実際に学歴と営業成績には相関関係は一切ない。一時は、この考えにどっぷりはまってしまい余計な知識を身につけずに、とにかく地頭を鍛えなくてはと自己啓発本を読み漁っていたが、この知識という概念が示す大きな力を見くびっていたようだ。

 

ノート1:記憶について

・記憶は情報を脳内に貯蔵すること。記憶の達人はもともと関係のない情報をうまく関連づけて、大きなまとまりとして新しい情報を覚えていく。

・覚えることは訓練によって習得できる技術である。

・自分にとって必要な情報が何かをわかっている場合、情報の取捨選択ができる。すべてを記憶する必要もない。

 

ノート2:知識について 重要な『スキーマ』という概念

スキーマとは自分がすでに経験したり学んだりした知識を使って新しい情報を理解していくことである。

・知識は客観的事実ではなく、自分のスキーマを通して解釈される世界である。

・入ってくる情報を自分にとって意味のあるものにすることで、記憶することを助ける。

・背景を知らない内容を勉強することが難しい理由は、スキーマが構築されていないからである。

 

ノート3:知識システムの構築=スキーマの構築

・なぜ子供は教えられなくても、母語を話せるようになるのか。

・それは、子供の言語習得は、知識システムの構築だからだ。

・誰に教わるでもなく自分で手探りでシステムを構築していくプロセスが、生きた知識を作る。

・子供は、大人の使っている言葉を自分なりに覚えて使ってを繰り返し、覚えた言葉を使って新しい言葉を覚える。その過程で自分に不要な情報を捨てていく。例えば、日本語であればLとRの発音の違いは識別する必要がないので、聞き取らなくてもよいと判断される。

・大人はこれができない。すでに知っている日本語の単語と同じ意味を探そうとする。英語学習に日本語の知識スキーマが入り込んでいるので、知識システムを構築できない。

 

ノート4:スキーマの思い込みを修正する。

スキーマは「思い込み」である。

・それを直すのは難しい。

・しかし、誤ったスキーマを作らないことも不可能である。

スキーマを作るのは知識の習得にとって一番大事だから。

・重要なのは「誤ったスキーマ」を修正すること。

・自分の論理が通用しなかったとき、その矛盾や誤りに気づけるか。

 

ノート5:熟達への道

・模倣による学習が必要である。ミラーニューロンシステム(人が他人の行動を観察するときその行動を模倣し、自分の中でなぞるような脳の動き)

・生きた知識を得るには自分で発見するプロセスが必要だ。

・知識の過程は絶対主義(自分の知識=事実ととらえる)から、相対主義(知識=主観であり違う見方があることを知る)、そして評価主義(多様な見方のなかでどれが確からしいかを評価する)へと進んでいくことが望ましい。

・絶対主義は幼児期に、相対主義は大人になれば身につく。しかし評価主義にたどり着くのは難しい。これが熟達の最終形態だ。

 

自分に足りていないのは3つだ。まず、のめり込む力。これぞ自分のテーマだというのが見つけられていない。有名なアスリートなどは幼少期からそのスポーツにのめり込み、寝食を忘れて取り組んでこそ熟達したその道のプロになった。時間を気にせずに取り組んだことのあるものを私は知らない。明日は朝早いから、「この辺で切り上げよう」が口癖だ。大好きな読書だってそうなのに、そんなもの果たして見つかるのだろうか。二つ目は集中力だ。私はちょっとの誘惑にも屈する男だ。30分タイマーを図って問題を解いたことがあるが、そのときも途中でお菓子をとりに席を外した。たった30分さえもまともに座っていられないのだから、多動性障害と言われても仕方がない。そして、最後に持続力だ。ミーハーなのである。ブームのモノにはすぐ乗っかるほうだ。統計学がブームと聞いたらすぐ勉強して統計学検定を取った。でも、取ったら終わり。すでに興味は失せていた。このブログだってそうだ。いつ飽きが来るかわからない。

 

結局、学びとは誰かに教わるのではなく、自分で発見することなのだ。自分が興味を持って自分で仮説を立てて検証して体験して初めて理解する。このプロセスの中で、自分のスキーマが生まれる。そして自分なりの知識システムが構築されていく。これが生きた知識だ。私のように死んだ知識がたまっていくと、ろくなことがない。知識を自分の体験に関連づけられないと、それは単なる情報であって、本当の学びにはならないのである。

 

今からでも遅くはない。より今やっていることをどこまで極められるかに挑戦してみようではないか。このブログも一つの試金石だ。