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ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

近現代史を学ぶ意味『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読む。

間に合った。この本は終戦の日までに読み終えたいと思っていた。めちゃめちゃ面白かった。改めて歴史は奥が深いと思った。

 

ちまたでは、歴史ブームだ。書店に行くと世界史、日本史の教科書がエンドに陳列されている。よく見てみると高校時代に使った教科書じゃないか。山川出版の世界史Bだ。大学受験では何度も読み返して暗記に励んだものだ。

 

それが今やビジネスマンに読まれているらしい。教養ブームの火付け役、佐藤優氏推薦の帯がやたらと目立つ。角刈りでごっつい体躯の佐藤氏がにらみをきかした写真は迫力があり、まさに知識人だ。世界の潮流を読むにはやはり歴史は必須科目なのだろうか。

 

歴史をどう今に活かすのか。これが歴史のテーマなのかなと思う。過去の失敗から学んだ知恵を現代に活かす。なんて未来志向な学問なのだろう。近現代史は戦争の歴史だ。これを学ぶということは言わずもがなだろう。

 

終戦の日。「深い反省」をもとに悲劇は繰り返すまいとの誓いを、日本国民が心に誓う日である。しかしながら、悲惨な戦争を二度と繰り返さないと願ったところで、現実は冷酷にも「そりゃあ、あんた甘っちょろい考えだよ」と諭すのである。お隣、中華人民共和国による度重なる領土侵犯。新しい戦争の形をしたイスラム国によるテロリズム。暴走国家、北朝鮮のミサイル発射。正直者は馬鹿を見るではないが、毎年毎年、不戦の誓いを立てているのに、日本人は、いつも戦争の危機にさらされているのである。

 

そんな中で、政府による安全保障関連法案が議会で通り、憲法九条さえも解釈次第で集団的自衛権も使えますということになった。

 

こうした状況の中で、日本はどのように国際社会を生きていくのだろうか。それを歴史から学ばなければならないのであろう。歴史問題について聞かれた政治家はたいてい、「歴史を客観的に見なければいけない」と言う。しかしながら歴史を客観的にかつ科学的に検証することは非常に難しい。なぜなら歴史は一つではないからだ。

 

第一に、国によって過去の出来事のとらえ方、立場が違う。中国はいわば被害者だ。19世紀から植民地化されて、最終的には、ずっと小っちゃい島国と馬鹿にしていた日本にやられた。アメリカは先勝国である。戦争は勝った国が歴史を作る特権を持っている。先勝国は敗戦国の国の形さえ変えることができるのである。それぞれの立場で歴史を見たら、まったく違うものになるのは当たり前だ。

 

第二に、人間は「自分の仮説は正しい」と思い込み、自分の主張の都合の良いデータのみを持ち出す。これは前回、『学びとは何か』で学習した「スキーマ」の問題だ。自分のスキーマを修正できない限り、反証に対して素直に受け入れることはできない。南京大虐殺で「100万人以上が犠牲になった」との主張に、「いやいや当時100万人もいなかったし」といって虐殺の事実ではなく虐殺の数に主張をすり替える。なかなか歴史問題が解決しない原因はそれぞれの「スキーマ」によるものだろう。これは歴史家でも難しいということだ。

 

完全に客観的な史実が抽出できないのであれば、我々素人が歴史を学ぶ意味はあるのだろうか。どっちにしろ、何かバイアスや立場が含まれているのであれば、どういう視点で「歴史を学ぶのか」が大事になってくる。国際社会で日本が生きていくための処世術、つまりこの混乱の世の中を上手く生き抜くために学ぶとしてみればどうだろう。

 

その視点で考えると「太平洋戦争は侵略戦争ではなく防衛戦争だ」という主張は、あまり国際社会との共存にとって好ましくない。中国と韓国を刺激するから。日本は植民地をして大勢の無辜の人々を殺しましたという自虐的な歴史観は、相手につけ込まれる。そういうことではなくて、戦争の回避のプロセスとか、戦争以外の選択肢とか、満州が欲しかった理由とか、交渉はどこで躓いたとか、そういった事を学ぶのがよいだろう。それを知るには、相手の状況とかも理解しなければならない。

 

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』はまさにこういう本だった。日本の近現代史を高校生への講義形式で日清戦争から太平洋戦争までを網羅していく。色んな切り口で、戦争を学べるので、解釈も考え方も多面的。そこから納得いく答えを自分でひねり出す感じがとても新鮮。こんな授業があったら、歴史にたいする興味も変わったのだろうなと思う。