読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

あるフランス人学者の予言『問題は英国ではない、EUなのだ』を読む。

国際情勢 歴史 政治

本屋を覗いたらエマニュエル・トッドの本がやたらと目についた。トッドと言えば、大学のゼミでは彼の著書『移民の運命』と『デモクラシー以後』にお世話になった。正直、おバカな大学生活を送っていたので、内容までしっかり覚えていない。ただ、行き過ぎた資本主義に反対して、国家の利益を優先させるべきだという論調だったのはなんとなく記憶に残っている。

 

イギリスがEUから離脱して数ヶ月、書店にはEU危機なる本がズラリと並ぶ中、そうした縁からこの一冊を買うことにした。多くの識者やビジネス関係者は、この脱退はイギリスの失敗と見ているが、トッドの見解は異なる。イギリスの英断を褒め称えている。当事者であるフランス人学者の意見が気になった。

 

ノート1:イギリスのEU離脱が意味すること

イギリスのEU脱退は歴史の必然であり、歓迎すべきことだ。これはグローバリゼーションの終焉の始まりを意味すると予言している。自由主義経済を牽引してきたイギリスは、主権国家への回帰を図ったと見るべきである。グローバル企業・インターネットビジネス・EUなど超国家的な行動によって、イギリス国民がコントロールできない事案が増えすぎた。今回の離脱は、もう一度主権を自分たちの手に取り戻そうという意思表示だ。EUという組織ではなく、イギリスのことはイギリスで決めたい。そういうメッセージだった。

 

ヨーロッパといえば、経済を牽引するドイツが推し進める緊縮財政で、EU各国が疲弊している状況だ。少子高齢化が深刻なドイツは大量の移民が欲しい。失業率の高いEU各国の若者をドイツに呼び込み、また中東からの難民までを呼び込み、安価な労働力としてものづくり大国の威信を保ち、自国の輸出戦略に利用している。こうした状況で、各国の人口や経済力はドイツに吸収される。脱退する頃にはすでに、国家としての体裁はない。

 

ノート2:グローバリゼーションの限界

文化人類学的な視点から見たとき、現在の経済自由主義パラドックスに陥っている。個人主義の発展は、本来、家族や古いコミュニティからの脱却が目的だった。しかし、結局、過激な競争主義・資本主義の結果、個人の最後の頼りは家族しかなくなってしまった。だから、トマ・ピケティ(『21世紀の資本』)が指摘するような、富の尺度=家族の資産になってしまい、貧富の差が広がっていくのだ。経済自由主義国民国家が前提にある。この国民国家の機能が弱まれば弱まるほど、個人は最終的に家族にしか頼るところがなくなるのである。グローバリゼーションではセーフガードとしての国家の役割が大きい。それに、グローバリゼーションの牽引役であったアングロサクソンの国々(イギリスやアメリカ)が気づき始めたと言える。

 

ノート3:EU崩壊の責任

現在の状況(ここでは主にドイツ帝国と化したEUについて)をもたらした元凶は、エリート階級にある。一般市民を見下し、自分たちの判断が正しいという傲慢な態度によって、エリート達は思考停止に陥っている。一般市民のニーズや要求を読み取れない政治家や官僚が、国家(ここでは特にフランス)を悪い方向へ導いている。EUを脱退したイギリスには、市民のニーズを汲み取って改革を図れるエリートがいることが強みであり、脱退後も不安はないだろう。

 

また、政治家や官僚を動かす民衆側にもパワーが欠けている。フランス革命明治維新、悪くはナチスドイツなど、歴史を作ってきたのは各国の中産階級である。現代の中産階級は「1%の超富裕層の存在を許し、低所得者層の生活水準の低下を放置している。(p.104)」こうした状況では、世の中を変えることは難しいだろう。

 

ノート4:これからの世界情勢

人口学、歴史学、人類学の視点から分析した結果、サッチャーレーガン時代から続いた経済自由主義は収束し、国家の役割が再評価される。国家の安定が今後のキーワードになる。安定化する国は、アメリカとロシア。不安定なのはヨーロッパと中国。中東では、スンニ派サウジアラビアとトルコが不安定要因で、安定化するのはシーア派のイランである。日本が今後、どの国との関係を重視するかを考える指標となるだろう。

 

 

感想

グローバル経済、ヨーロッパ情勢などの本はたくさんあるが、トッドの主張は強く印象に残る。特に日本人が書く国際情勢の本は、正直どれも似たり寄ったりなのだ。なぜだろうか。それはきっと、物事を語るときに自分の切り口を持っているからだ。

 

彼は他の著者と違って、経済や政治の問題を歴史人口学・文化人類学から分析できる。しかも観念のようなものではなく、科学的なアプローチで実証していくスタンスだ。学者はこうでなくてはと、思わずうなってしまう。切り口が違うだけで、同じ結論でも頭に入ってくる。受け売りの知識(他の同じような著書やデータを活用する)ではなく、自分の仮説と検証によってもたらされた成果だからだ。

 

自分の主張をはっきりさせるという文化で育ったフランス人だからできる荒技なのか。自分の武器を磨くことは、他の分野でも活きるようだ。何か新しい課題に直面するとき「これは自分の知らない分野だ」と、躊躇してしまう自分がいる。未知の分野を勉強することは大切だが、自分の持ち札をその分野にどう応用できるかのほうがよっぽど大事だと痛感した。フランスの知識人はやはりすごい。