ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

メディア界のドンから学ぼう!『反ポピュリズム論』を読む。

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流行語大賞のノミネート作品が発表された。流行は好きだが、この流行語大賞はいただけない。この言葉が日本人の行動や関心を反映していると思うと、民度が低いんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。「ポケモンGO」をまさか高齢者がやるわけないし、「盛り土」「都民ファースト」って東京都民以外そんなに使うのか、などと突っ込みながら眺めるのは好きなのだが。

 

流行語大賞は、日本人の流行というか、明らかにメディアが頻繁に使った言葉だろう。こうしたメディアの操作によって、流行は流行になっていく。年末の忘年会にはトランプの真似したり、「斉藤さんだぞ」をもじってみたりするのだろう。

 

近年、大衆を扇動する政治家によるポピュリズムが世界中で発生している。アメリカ大統領選では、政治経験のないトランプ氏が「強いアメリカを取り戻す」と言ってヒラリー候補に勝った。フィリピンのドトゥルテ大統領は、非人道的な政治パフォーマンスにもかかわらず高い支持率を誇っている。フランスでも次期大統領候補に、移民排斥、EU脱退を訴える極右政党のルペン党首が急浮上している。彼らの特徴は、既存の政治に対する不満を持つ大衆の気持ちを読んで、それに沿った政策を出して人気を得ることだ。私のように流行が大好きで、日本の政治をイマイチと思っている人間は、心に響くようなメッセージをポンと投げられたら、期待してしまうに違いない。時には極論を、時には悪口を言えば、こいつはただ者じゃないと感じるだろう。

 

幸い、大衆の中には混ざりたくないという斜に構えたところがあるので、大衆を操るメディアのドン、読売新聞主筆ナベツネさんこと渡邉恒雄氏からポピュリズムを学ぶとしよう。

 

ノート1:大衆迎合の政治の特徴

日本の一番の問題は経済でも外交でもなく、統治体制の弱体化である。二人の政治家の登場が日本政治のポピュリズム化を示している。一人は小泉純一郎元総理、もう一人は橋下徹大阪市長である。二人の共通点は、①敵を作って、それを叩くことで人気を得る、②誰にでもわかりやすい「聖域なき構造改革」とか、「大阪都構想」「郵政選挙」といった、ワンフレーズ、シングルイシューで支持を訴える、③テレビやネットといったメディアを利用する能力に長けている。

 

彼らは、人々の不満の原因を既存の政治組織のせいにして、メディアを使ってややこしい問題をバカでもわかる単純なフレーズを用いて「これで解決する」と訴えるのだ。

 

ノート2:大衆迎合の政治に陥った理由

ポピュリズム化の背景には政治に対する不信感がある。何も決められない政治。解決しない山積みの社会社会問題。大衆はそういったことにうんざりしている。政治家の質も低下している。その大きな理由は小選挙区制度である。基本区から1名選ばれる小選挙区制度では、過半数をとるためには政策よりも大衆受けする言葉を吐いておけば勝てる。そして党首が人気であれば勝てる。中選挙区制度だったころは、同じ政党内でも議席を争う一方で、15%の得票率さえあれば勝てた。それゆえ、15%の人に届く「本音」を伝えられた。党首の人気に影響されることなく、本当に地道な選挙活動が勝敗を分けた。党首人気にあやかった小選挙区制度では議員は育たない。

 

ノート3:ポピュリズムとは何か

古代ギリシャ・ローマ時代から、民主主義の欠点として「悪い多数者の支配」の弊害について指摘されている。民主主義は民衆の能力が低下すると衆愚政治に陥る危険性をはらんでいる。政府が危機に陥ったとき強い個人のリーダーが登場するのも民主主義の機能の一つである。その個人のリーダーも民衆の無知によって賢人独裁から専制に変わってしまうのである。ゆえにポピュリズムは民衆の知識水準の低下から引き起こされるといえる。

 

ノート4:メディアによるポピュリズムの増強

20世紀の名キャスター、ウォルター・クロンカイトによれば、国民のニュースの情報源をテレビに依存すると民主主義の屋台骨が危うくなる。テレビは新聞などを読めない人にとっては理解水準を上げてくれる一方、それ以外の人にとっては、理解水準を大きく下げる。テレビの欠点は時間だ。尺の関係でややこしい問題をシンプルに伝えなければならない。TVが2,3言を切り取ってニュース全体を伝える「サウンドバイトジャーナリズム」は国民の正しい理解を阻害する。またネットメディアは、匿名で勉強もろくにしていない人が適当に挙げた記事が多く読まれる危険がある。

 

ポピュリズムに対抗するには、メディアを鵜呑みにせず気になることは自分で調べること。

 

 

テレビでは「政界にも影響を及ぼす、影の独裁者」というイメージ付けをされているが、さすがに最大手新聞社の主筆であり、40年以上政治記者を務めただけあり、特に政治家の資質に関しての言説は言葉の重みが違う。日本のポピュリズム化を阻止すべく、2007年に行った大連立の画策についても書かれていて、政治の裏側を見た気がする。

 

しかし、我々庶民もなめられたものだ。政治家に「あいつらは頭悪いから、ちょっとそれっぽいこと言えばついてくるよ」と思われているのか。「とりあえず話題性のある人物を選挙に出しとけば勝てるんじゃね?」と聞こえてきそうだ。我々は政治にもメディアにも踊らされているのだ。テレビではドラマかバラエティしか見ないという人の方が、中途半端なニュース番組を見る人よりも健全なのかもしれない。

 

feuillant.hatenablog.com

 

メディアは見ないという選択肢はある。しかし政治に関わらないという選択肢はない。メディアを見ないで、社会で起きていることを理解し、選挙で意思決定をするのは難しい。テレビで池上彰のようなニュース番組が人気なのも、「知りたいという」欲求があることの表れだ。庶民といえど知識欲は衰えていない。しかし、テレビでは尺が足りない。我々も情報を収集して理解する時間が足りない。

 

「時間がないからざっくり伝えるけど勘弁して。」「ちょうど良かった。こっちも時間が無いから手っ取り早く頼むよ。」といった具合でつまりWin-Winの関係でもある。一応何が起こっているかが頭に入っていれば、気になるものは自分で調べれば良い。そうだ、自分で気になったら詳しく調べればよいのだ。子どもの頃、テレビでカブトムシの特集をやっていて、カブトムシに興味を持ち図鑑を買ってもらい、調べた事がある。そんな感覚で理解水準の低下を抑えられないだろうか。

 

反ポピュリズム論 (新潮新書)
渡邉 恒雄
新潮社