読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

本当に馬鹿なのはどっちだ?『馬鹿一』を読む。

小説

f:id:feuillant:20161129001141j:plain

外食をする時、最近はもっぱらグルメサイトで検索する。そこから選ぶ基準は決まって、他の人の評価だ。他の人の評価が高いお店に行く。たとえ、載っている写真が特段おいしそうに見えなくてもだ。映画を見に行くときは必ず、ランキングに入っている作品を選ぶ。たとえ内容がよくわかっていなくてもだ。

 

しかし、いざ行ってみると、「さすが他の人からの評価が高いだけのことはある」と納得するのだ。だからといって、そのお店のどこが良かったか、映画のどのシーンが感動したのかと聞かれると、出てこないことがしばしばだ。感想がでないものは決まって他人の評価を基準に選ぶ時だ。友達が今話題の『君の名は』が面白いというから、今度はそれを観に行こうと思っている。

 

他者の評価がすぐに手に入るようになってから自分の感受性が失われていくのがわかる。自分にとって興味があるのか、ないのかさえわからなくなるときがある。本当ならば、たとえ周囲からの評価が低いとしても、自分が面白いと思うものは面白いのだし、口コミ数が少なくても自分にとってはあの味がたまらないのだ。

 

武者小路実篤の『馬鹿一』を読んだ。新潮文庫ではもう売っていなくて、100年文庫を図書館で借りた。読み終えた後に、自分の感受性のなさに気づいてしまった。

 

ノート:あらすじ

石や草といった誰も見向きもしないものを題材に絵を描き、詩を書く男、下山はじむ。彼の作品はまったくもって世間の評判は悪いが、本人はどこ吹く風で飄々と自然美を追求して作品を作り続けている。そんな下山はじむのあだ名は「馬鹿一」。決して悪口ではないが、周囲は世間の評判に無頓着でお人好しの馬鹿一をからかうのである。みんな気がむしゃくしゃしたり、不愉快なことがあったりすると馬鹿一を訪ねる。のんきな馬鹿一を見ると世間のことを忘れられるらしい。

 

ある日、周囲の連中はどうにかして馬鹿一に「自分が愚かで、自分の仕事など誰からも評価されていない」ことをわからせようと、賭けを行うことを決めた。一人一人が、馬鹿一に世間の常識を伝え、説教をたれに行く。ところが誰一人として、馬鹿一を説得させられなかった。おまえは馬鹿だと伝えようとすればするほど、自分たちの方が愚かであると感じてしまう。それくらいに、馬鹿一は自分の価値観や信念をしっかりと持って自立した人間として生きていたのだ。

 

 

感想

私なんぞは世間の評判を気にして、そして周りの影響を受けやすくて、自分が知った情報をあたかも自分の説かのように話している。まさに、馬鹿一を馬鹿にする側に立っている人間だ。馬鹿一の、周囲の進言に対する言葉がいちいちグサリと突き刺してくる。そしてそれが爽快でイヤミが無い。

 

石ころの絵を見て「こんなものばかりかいてよくあきないね」と言えば、「君はあきる程見たことがあるのか、見ない前にあきているのじゃないのか。よく見たことがないから同じに見えてそこに千変万化がある、面白さがわからないのだ。」と返される。(p.22)

 

偉い人の説を用いて「今時に他人のことを考えないなぞというのは独善主義だとその人は言っているよ。」と諭せば、「本当にその人は他人のことを考えているのかね。僕は他人のことを考えれば考える程、自分がしっかりしなければと思うね。」と返す。(p.27-28)

 

挙げ句の果ては、「君は他人の説ばかり受け売りしているじゃないか。自己に徹していない。独立した一個人になれないものは、僕はまだ人間になってないと思っている。」とくる。(p.29)

 

自分の価値観と信念を持って生きていれば、馬鹿一のように自由に穏やかに暮らせるのかもしれない。周囲が世間に疲れたり、むしゃくしゃしたりした時に彼を訪ねる気持ちがわかる。一種のうらやましさだ。自己に撤してさえいれば、何を言われようと関係ない。他の人が良いと言っているから、といって無条件に受け入れる自分とは大違いだ。自分もなれるのだろうか、自分を貫ける大馬鹿野郎に。

 

純 (百年文庫)
純 (百年文庫)
posted with amazlet at 16.11.28
武者小路 実篤 宇野 千代 高村 光太郎
ポプラ社