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ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

混沌がもたらすもの『応仁の乱』を読む。

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応仁の乱って!」思わず声が出てしまった。「人よむなしい」で覚えたあの1467年の大乱の文字が、20年の時を超えて私の目の前に現れたのだ。高校以来久しぶりに出くわした懐かしい響きからか、思わず手に取ってしまった。

 

高校生とは大概こんなものだろうと思うのだが、応仁の乱という言葉が、なぜかかっこよく聞こえた。平成という元号よりも、昔の元号のほうがイケてるな、と思ったものだ。

 

さて20年経って、相変わらず「懐かしい」なんて興奮しているところを客観的に見ると、人間の本質は変わらないのだと思ってしまう。しかし、こっちも高校生じゃない、一応社会の荒波に揉まれてきた大人だ。「懐かしい」だけで終わらせてなるものか。

 

なぜ今更、新書になったのか?新しい発見でもされたのか?という疑問がわいた。と同時に、応仁の乱って何だったのか、という自分の無知に改めて気づかされた。これも何かの縁。久々に日本史を勉強しようかと、大人になった私は再び応仁の乱と相まみえることとなった。

 

 

ノート1:応仁の乱の概略

応仁の乱は1467年に始まった、京都を中心に東西に分かれて大名(たいめい)同士が戦った内乱である。発端は8代将軍、足利義政の後継者争いだ。義政は自分の弟・義視を後継に考えていた。しかし、妻・富子との間に子どもが産まれる(義尚)と、富子の強い希望により子どもを後継者にするという考えに傾いていった。

 

一方で幕府への政治参加が許されていた各地の大名たちの間で派閥抗争が勃発した。後継者争いを引き金に、派閥争いは細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)を中心にした合戦に発展した。

 

将軍義政・天皇を見方につけた東軍に対して、西軍は足利義視を将軍に立て西幕府を作った。南北朝時代南朝天皇も西軍に加わり、事実上天皇・将軍が2人存在することになった。この争いは、だらだらと長引き11年も続いた。西軍の中心である山名宗全畠山義就が、自国に戻ったことで収束を迎えたが、畠山義就を幕府側が赦すまでに20年かかった。

  

ノート2:応仁の乱の特徴

将軍のリーダーシップの低下

大名たちの間で何度も小競り合いがあったにも関わらず、将軍義政は幕府の介入を避けて、態度を保留してきた。また、応仁の乱でも、東軍に担がれながらも、実際戦地には赴かず、細川氏に任せっきりにしていた。その結果、争いが長引いたという説もある。

カリスマの不在

争いの中心が細川氏と山名氏だったとはいえ、11年の合戦では敵味方がころころ変わった。寝返り・裏切りによって誰が味方で誰が敵かわからない複雑な戦乱になった。

 

大義名分がなく派閥争いから端を発したため、各大名たちは自分の利益になるほうについたのだ。結局なんのために戦ったかがわかりづらい内乱だった。

 
戦法の変化と長期戦

各軍とも、防御施設が発達したため、なかなか敵陣に攻め込むことができず膠着状態になった。例えば、道を掘って壁にした塹壕が多く築かれ、それが防御機能を果たした。

 

そこで、事態を打開するために使われたのが足軽だ。足軽を使って、物資集積地や駐屯地を焼き討ちした。罪人なども足軽として雇われたため、盗みなども横行した。京都の町が壊滅したのは足軽の活躍を物語っている。
 
階級関係の変化

公家・寺社が所有する荘園を実質管理している代官が、年貢を納めなくなった。それに対して、公家・寺社は身分の低い国民(地元武士)や民衆を使って年貢の取り立てを行った。公家・寺社が身分の低い彼らに借りを作る形になった。

 

また、東西両軍の戦闘で自分の土地を荒らされると、国民は一揆として立ち上がり大名軍を追い払った。(下克上のはじまり)

 
政治システムの崩壊

室町幕府は、地方の有力大名を京都にいさせることで、彼らの動きを監視し、かつ政治に参加させる制度をとっていた。しかし、応仁の乱以降、在京守護大名たちは国へ戻った。

 

2つの理由がある。一つは、守護が京都にいることで、地元が守護代にとられてしまうと感じたからだ。もう一つは、もはや幕府のお墨付きが要らなくなったということである。地元に戻り地盤を固め、天下取りを狙うのだ。

 

ノート3:応仁の乱の歴史的な位置づけ

内藤湖南は「現在の日本と関係があるのは応仁の乱以後で、それ以前は外国の歴史と同じ」と言っている。本当の日本の姿を知りたければ、応仁の乱以降を勉強せよということだ。

 

応仁の乱がそれ以前の旧体制を徹底的に破壊した。貴族や大名が地方に散らばり、京都の文化が全国に波及した。また、応仁の乱以降、戦国時代が到来し世の中が乱れに乱れた。それによって平民や身分の低いが成り上がるチャンスが来たのだ。

 

誰が正しいか、誰が強いのかがわからない時代、人々は知恵を絞って生き抜いたのだ。

 

 感想

世界は混迷の真っ只中だ。世界的なリーダーの不在、長引くテロとの戦い、中産階級の崩壊、ポピュリズムによる政治への下克上、誰が敵で誰が味方かわからない時代を生きている。おそらく著者の意図はここにあったのだろう。応仁の乱が、今起こっていることとリンクして見える。

 

世の中大丈夫なのかと不安になってしまう。しかし、混乱は新しい時代の幕開けである。そして、誰もが新しい時代の先駆者になりうる。何が正解かわからない時代だからこそ、色んなことが試せるのだ。閉塞感が漂う日本が生まれ変わるには混乱が必要なのかもしれない。

 

安定的な仕事に就いている人、お金持ち、権力者は大変だが、私のような地位もお金もない人間にとっては成り上がりのチャンスだ。かくあるべきというステレオタイプはもはや通用しない時代だ。こうした混乱の中でこそ、自分らしく生きることが可能なのかもしれない。