ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

国だって万能ではない 『愛国の作法』を読む。

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久々におぞましい映像を見た。幼稚園児が「安保法制の成立おめでとうございます」などと言っている。「がんばれ安倍総理」なんて叫んでいる。これには開いた口がふさがらなかった。口に入れようとした白米が箸から滑り落ちたのである。

 

教育というより洗脳だ。何でもその幼稚園を運営する学校法人が、政治家への口利きで安く土地を購入して小学校を建てるらしい。

 

私は自由主義者なので、自分で考え自分の意思で行動できる子どもを育てたい。そろそろ選択肢として別の国も視野に入れた方が良さそうだ。私の娘は待機児童である。早いとこ保育所増やして欲しいと思う反面、こういう現状を見ると保育所も数じゃなく質だよなと思ってしまう。

 

政治家に言わせれば、「これは国を愛するための教育だ」ということになるのだろうか。「愛国」という言葉は危険な臭いがする。「日本は素晴らしい」「日本は特別な国」「日本人にはもののあはれという感情がある」こういった類いの主張が登場するからだ。ハッキリ言って気持ち悪い。私も日本人なのでこの国が好きだ。好きだからこそ、もっといい国になって欲しいと願うのだ。欠点はあって当たり前。

 

 

「いやいや日本は完璧ですよ、素晴らしいですよ」と自分らが言うのは、算数で0点とっても「うちの子は天才なんです。国語が満点ですから。」と自慢している親のようなものだ。

 

正しい愛国とはどんなものだろうか。少し古いが姜尚中さんの著書にヒントが書いてある。

 

ノート1:愛国心が求められる背景

グローバリゼーションによって、我々の属するコミュニティが壊れてきた。もしくはコミュニティの形が変わってきた。

 

民営化などによる経済の自由化は、国家の役割を後退させ、人々の個人化を促進する。少子高齢化核家族化にともない社会コミュニティにも変化があらわれた。人の自由にともない、国境を越えて人の行き来が激しくなった。近隣諸国の脅威が増大する中、安心・安全への不安も高まってきた。

 

経済的な不安、社会的な不安、安全保障上の不安によって、人々は最終的に国家に帰属先を求めるようになってきた。

 

ノート2:二つの国家原理

国家の定義は二つある。一つは「民族」国家。もう一つは「国民」国家である。「民族」国家の原理は、エトノスと呼ばれる。感性的な国家像である。民族や風土、文化、歴史などをベースにした情緒的な共同体としての国家である。もう一つの「国民」国家はデーモスと呼ばれる。作為的な国家であり、近代国家は社会契約によって成立する政治的な共同体である。二つの原理が被ることはない。アメリカでもどんな民族でもアメリカ人になり得る。日本においても単一民族国家ではない。今の国家は現実的には権力が作為的に「国民」を作っている「国民」国家なのだ。

 

しかし、愛国を語るとき前者であるエトノス的国家を想定する。ベネディクト・アンダーソンはこうしたエトノス的国家を「想像の共同体」と呼んだが、想像の共同体にはネーションの善性が働くという。つまり、エトノス的国家ではどんなことがあっても、最終的に国家が正しいという結論に至るという。

 

ノート3:日本国家と愛国

日本も例に漏れず、明治維新によってヨーロッパをまねた近代「国民」国家を形成した。しかし、国民としての意識が薄く国としてまとまりを欠くため、「民族」国家の原理を用いて国民の求心力を得た。天皇を国家の基軸に置く手法であった。最終的に、天皇国家元首とする大日本帝国は、第二次世界大戦を招き崩壊した。

 

しかし、戦後もこのエトノス的な国家原理を用いて、戦争を正当化する保守の動きもある。日本は戦争で世界各国を苦しめたとする自虐史観を修正し、日本は自分の国を守るために戦ったのだとする主張も出てくる。そんな中で靖国問題も政治的な論争に発展していく。

 

ノート4:愛国の作法とは

安倍首相の『美しい国へ』にもエトノス的な国家観が見られる。愛郷・文化への帰属が国家への愛に繋がると主張する。しかし、現実的な政治的国家は愛郷・文化では括れない。日本の悠久の歴史をもった日本という土地に生まれたものしか、日本人になれないわけではないからだ。

 

往々にして、日本は素晴らしいといってお国自慢をする論者は、エトノス的な国家原理に偏りすぎている。こうしたナルシシズムに陥れば排他主義民族主義に繋がる可能性が高い。

 

愛国の作法は、国家を政治的なリアリズムをもって論じることだ。デーモス的な国家を想定する必要がある。デーモス的な国家は、作為的な政治的共同体である。様々な思想・価値観がぶつかり合い一般意思を決定する政治機構である限り、完璧はあり得ない。

 

そこで知性を働かせ理想の国家を作り上げる不断の努力こそ愛国心である。それゆえ、自国を批判的に客観的に見る目は必要である。「私はこの国を愛している。だからこの戦争には反対だ。」丸山眞男の示すように、愛国心には、国に忠なるがゆえに「反逆」するというダイナミズムが必要である。

 

感想

国だって間違いも犯すし、失敗もする。それをネーションの善性から、最終的には”国は正しい”になるのはやはり怖い。失敗を冷静に分析して次につなげるべきだ。人間だってそうやって成長するのだ。国家が人間の意思の集合体であるならば、同じだろう。

 

保守主義とは何か』によれば、現在世界各国で保守系政党が強い理由は、リベラル的な合理主義・理想主義に対する嫌悪だそうだ。人間なんか合理的に動けるわけがない。感情や価値観が大切なのだ。それゆえに、合理主義的なインテリは頭でっかちで、なんにもわかっていないという結論に達するのだろう。

 

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しかし、リベラルな人達は別に合理主義が万能とは思っていまい。それよりも、感情による暴走にブレーキをかけるために知性は必要だと言っているのだ。

 

優れた知性を持つはずのリーダー達が何を血迷ったか政治的国家であることを忘れて、民族国家について語っている。これが現実といったところか。