ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

その分析は何のため? 『会社を変える分析の力』を読む。

f:id:feuillant:20170419214050j:plain

最近、お昼はテレビを見ている。この時間帯にやっているのは、お笑い芸人のロケ番組か、徹子の部屋か、ワイドショーくらいだ。そう言えばお昼の顔は、タモリからナンチャンになっていた。500円そこらの弁当を食べているのに、東京の人気グルメなんか見せられたら、それも品のない食べ方で「うまっ」とか言っている芸人を見せられたら、ますます食べる気を失うので、ワイドショーを見る。

 

北朝鮮問題に詳しい方々が連日、朝鮮有事の可能性について見解を述べておられる。アメリカの思惑、北朝鮮の挑発行為の意図、中国がどう動くかなど、まあよくもあれだけ詳しく分析して視聴者に提供してくれるものだ。さすがプロの専門家だ。我々が知らない情報を教えてくれる。きっと、あらゆる手段を使って情報を入手し、深い考察のもと分析をしてきたのだろう。

 

しかし一方で、もっと他にニュースないの、時間割きすぎじゃないか、とも思ってしまう。こう言ってしまうと、日本が戦争に巻き込まれる可能性があるのに無関心ではいられまい、と返事が返って来そうだ。

 

せっかく素晴らしい分析をしているんだから、北朝鮮のアナウンサーのマネをしたり、リーダーの髪型を笑ったりするような野次馬丸出しの私に語るよりも、政府にアドバイスすればいいのに。

 

情報を伝えてくれるのはありがたい。世の中で起きていることを知りたい、知っていなくてはいけない、そういう欲求とか使命感のようなものは持ち合わせている。それにもやはり限度がある。コメンテーターに、「日本政府はこう対処すべきだ」「Xデーはいつだ」と言われても、「なるほど~」で終わる。そこまでは必要ない。私は、国を動かす人間ではないのでXデーが迫っても、逃げるしかない。

 

本書はビジネスの現場における「分析」のあり方がテーマであるが、「何のために分析をするのか」は分野に関わらず考えなければいけない。最近もてはやされているデータサイエンス・ビッグデータ。データ分析はその手法に目が行きがちだ。

 

しかし分析の価値はどれだけデータからキレイな法則を見いだせたか、色んな情報から将来の予測ができたかではない。まして、「どうですか、凄い分析でしょ」と自分の分析力をひけらかすことでもない。分析の本質は意思決定にあるのだ。3年前に読んだ本をもう一度読むことにした。

 

ノート1:分析の価値

分析の価値=「意思決定への寄与度」×「意思決定の重要性」(p.27) 

 

分析には数学が得意でなければならない、難しい分析モデルが優れている、はすべてズレている。分析で重要なのは、分析で何がわかったか、意思決定にどう役立つのか、である。分厚い報告書も、難しい数式も使ってもらわなければ意味がない。あくまで分析モデルはモデルであり現物とは違う。

 

それゆえに、予期せぬ結果が起こりうることは想定しておくことは大切である。ノーベル賞を取った経済学者が自信のモデルに当てはめて資産運用を行った会社は、モデルから逸脱した出来事が起こったことで倒産した。モデルを現物と勘違いすることは危険である。

 

ノート2:分析の手順

ビジネス課題を見つける→分析問題を解く→数値解を示して使ってもらう→それによって意思決定に役立つ。課題発見力・分析力・実行力の3つが揃って始めて分析に意味がある。

 

そのためにも、机に座ってデータとにらめっこするだけではなく、ビジネス視点に立って発想すること、現場の人から話を聞くこと、意思決定者が動きやすい提案にすることを心がけなければならない。

 

ノート3:勘・経験・度胸を侮らない

これらを非合理的であると切り捨てることはしないほうがよい。特に複雑で将来の予測が難しい時にこそ、現場の勘・経験・度胸のほうが正しい意思決定を行えることもある。データ分析に謙虚であるとともに、現場の声・意見に耳を傾けるべきである。

 

世の中の情報は膨大である。しかもインターネットが、情報へのアクセスを可能にした。誰もが色んな情報に触れることができる。それを集めて分析をすればかなり高度な予測や法則を見出すこともできるのである。母数が増えれば正規分布に近づく。

 

しかし、それでも予期せぬことはたくさん起きる。優秀な経済学者達でさえリーマン・ショックを予測できなかった。原子力委員会東京電力もとてつもない津波が来ることを予測できなかった。分析した人間は「想定外のことが起きた」と弁解する。

 

 

高校の時は、数学でキレイに答えがでたり、式が作れたりすると嬉しくなった。しかも、それが正解だった。データ分析ではこうした感覚を持ってしまうと危険だということだ。現実社会に正解はない。そして、分析結果をもとに行動しなければ意味がないのである。現状を変えるために、次にどう行動するかを決めるために分析はある。

 

たかだか1時間程度のワイドショーを見ていて、なぜか気になってしまった。直接の意思決定者ではない我々に北朝鮮政策について熱く語られても、何も変わらない。我々の意思決定は、せいぜい「危ないから核シェルターを買う」だ。

 

1週間、同じ人がずっと同じ事を話しているから、結局「徹子の部屋」にした。ル~ルル、ルルルルルル~♪ 朝鮮有事の裏側では平和が続いているようだ。