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ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

インテリは権力に弱い 『服従』を読む。

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5月に入ってフランス、韓国で大統領選挙が行われた。特にフランスでは、国民戦線のルペン候補に注目が集まったが、結局は大方の予想通りマクロン候補が勝った。フランス史上最年少の38歳だそうだ。自分とほとんど変わらない。奥さんが64歳という事実に、我々夫婦は愕然。そして、義理の息子がマクロンよりも年上。「さすが、自由・平等・博愛の国」と先進国のすばらしさを手放しで称賛した。

どの国も分断の危機である。貧富の差が開いているのも原因だ。アメリカでは白人労働者階級がトランプ大統領を支持し、インテリ層のヒラリー候補を破った。イギリスでもEU離脱を巡って、経済界と労働者階級で票が割れた。

フランスでは移民問題を巡って、移民排斥とEU離脱を目指すルペン氏と、親EU派のマクロン候補で最終決戦が行われた。

 

このブログでも何度か書いたが、最近の選挙ではポピュリズムという言葉が必ず登場する。メディアでも度々ポピュリズムは取り上げられ、本屋に行けば反知性主義に陥らないための教養コーナーなるものまで設置されている。

反知性主義ポピュリズムが、大衆迎合な政治手法であるならば、一般大衆とインテリ層の対立という構図なのだろうか。だいたい、我々大衆側が、俺たちは反知性主義だ、と自認して候補者を応援するわけではない。ポピュリズムとか無教養とかと言葉をつけたがるのは、たいがいインテリ軍団だ。メディア、大学教授、あとはどの雑誌にもご意見番で登場するような、「自分知識持ってますよ」集団であろう。

 

かくいう私も、大衆に埋もれたくない、世の中に踊らされたくないと思っている一人だ。しかし、知識の量・社会的な地位で区分されれば、断然大衆の一人である。

その他大多数が悪いわけではない。統計学では大数の法則なるものがある。大多数の意見は、一般的には正しいとされるのだ。

一方で、心のどこかでインテリに憧れている。知識も知恵もあって、社会的に認められる人間ならば判断は間違わない。より冷静に状況を見極め、適切に課題を解決する優れた能力を持っているのだろうと。

 

 

ミシェル・ウエルベックの『服従』は、私のインテリへの憧れと嫉妬をキレイに消し去ってくれた。購入して、帯を確認したら、佐藤優氏、池上彰氏の名を見つけた。いわゆる日本のインテリさんたちが大絶賛する小説だったのだ。これは、是が非でも読んでみようと、がぜん読む気になった。

 

あらすじ

2022年のフランスでは、増加するムスリム移民と、移民排斥を推し進める極右グループの対立が激しくなっていた。大統領選挙では、極右政党、国民戦線イスラーム教の政党・イスラーム同胞党が躍進していた。決選投票は、国民戦線・ルペン氏とイスラーム同胞党のベン・アッベス党首の戦いになった。

フランス国民は、極右政権か、はたまたイスラーム政権かを選択しなければならなくなったのである。そして、中道系の政党がイスラーム同胞党の支持に回ったことで、最終的にフランスで初めてのイスラーム政権が誕生することになった。

フランス文学の教授である主人公のフランソワは、いわゆるインテリで何不自由なくパリでの生活を楽しんでいた。若い女子大生と性的関係を持ち、ひたすら自分の専門である「ユイスマン」にのめりこんでいた。

 

しかし、イスラーム政権が誕生すると、生活は一変。ユダヤ系の彼女はムスリムの支配するフランスを逃れイスラエルに亡命する。一方大学は、イスラーム教徒でなければ大学で教えることができなくなり、フランソワは大学を追われることになる。

 

フランス大統領になったベン・アッバスイスラーム文明を軸にしたローマ帝国を築こうと画策し、モロッコやチュニジアといった北アフリカ諸国との関係強化を図っていく。イスラームの価値観を基礎とするため、男女の役割分担を明確にすることで失業率を減らし、サウジアラビアオイルマネーによる支援で、仕事を失った人にも多くのお金が支払われる。もちろん一夫多妻制度も合法になった。

 

イスラーム化していく社会で、フランソワはイスラームの価値観を認め、最終的にイスラームに改宗し大学に復帰する道を選ぶ。

 

フランソワはとても優秀な文学者だったようだ。大学の友人、また政治に関わる知り合いなど、多くの識者の意見を聞きながら、また自分の研究対象であるユイスマンも改宗の経験をもっていたことから、最終的に彼はイスラーム政権のフランスを受け入れた。

頭のいい人は良く言えば柔軟だ。一方で、やはり権威には弱いのだ。途方もない概念・価値観にさらされるとそれを認めざるを得ないという、悲しき習性を、フランソワから感じとることもできる。フランソワは、新しい秩序に違和感を覚えながらも来るべき将来を予見し、結局は権力の側についたほうが合理的であると判断したのだろう。

 

盲目的にか知らないが、よく本や雑誌に登場する知識人たちは、偉い人の言葉を引用する。「だれだれがこう言っている」と。何か歴史上の人物が言ったことが完全であるかのように、自信をもって話すのだ。挙句には、「経営者が読むべき古典」とか言いながら、権威を持つ本を広めようとする。信仰に近いものを感じる。

結局インテリだからと言って、社会を変える立場にいるわけではない。そういう意味では大衆と変わらない。しかし、なまじっか知識とかを持っていて、「反知性主義に陥るな」とか「ポピュリズムは危険だ」とか吹聴して、不安をあおる。この点では有害無益と言える。一方で、別段何かしてくれるわけでなく、自分は自分で、権力に従順で、うまくやっていく。インテリとはずるがしこい存在なのかもしれない。

 

我々一般大衆は知識・知性の欠如から、権力に従順し、インテリ層はその知識・知性を駆使してうまく権力に従順する。どうりで世の中が変わらないわけだ。