ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

「自分とは違う」を許容できるか『他人の意見を聞かない人』を読む。

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久しぶりに面倒くさい男に会った。やたらと自分のやっていることを勧めてくる男だ。自己啓発に余念がなく、常にハードワーク。遊びも仕事も真剣に打ち込んでいる。

 

それはそれで素晴らしい。私のような怠け者からすれば、公私ともに経済的にも精神的にもより高いところへという野心がうらやましい。彼を応援したい気持ちもある。しかし、その熱をこっちにまで向けられると、暑苦しい以外の何物でもない。

 

最近始めたドラムの練習の話から、一緒に通わないかと誘ってきた。一度断ると、断られることに慣れていないのか、さらにグイグイくる。こっちの事情など聞こうとしない。次から次へと自分の主張を話し始めるのである。

 

かつて、自己啓発セミナーにはまって、「さらに上のクラスに入るには知り合いを数人紹介しなければならない」というルールのもと、しつこく勧誘してきた男と同じ匂いがした。

 

想定していた答えが返ってこないと焦る。そして、その答えを訝しがるのである。私は営業マンだったから、Noと言われることに慣れているほうだ。YesかNoかを聞いているのだから、Noの答えがあって当たり前である。

 

それなのに、「なんでNoなのか。どう考えてもYesだろ。ちょっとおかしいんじゃないのか」と思ってしまうこともある。自分とは違う意見に対して、「それもある」と認めることは難しいことなのかもしれない。

 

というわけで、本書から「他人の話を聞かない人」の特徴や背景を学んでみたい。

 

ノート1:自己正当化

他人の意見を聞かない人は自分を正当化しようとしている。主に3つのケースがある。

  • 利得:自分の意見を主張することでメリットが期待できる場合。クレーマーなどは、自分の主張を通すことで金銭的な期待を持てる。
  • 否認:自分の非を認められない。自分ではやましい点があることは理解しつつも、素直に受け入れられない。こういう人に限って、ほかの人の欠点ややましい点に敏感に反応する。
  • プライド:自分の優位性を誇示するために、少しでも反論されるとさらに主張を強める。最悪の場合、激高して相手を罵倒するまでに至る。

 

自己正当化は、実は自信のない現れでもある。人の意見を聞くと不安になったり、自分を否定されたと感じたりして、自己防衛に走るのだ。こういった人は変化への対応ができず、思い込みが強い傾向にある。

 

ノート2:異常な自己愛

セルフィー(自撮り)にみられるように、インターネットを通して、自己への承認欲求、自己顕示欲を満たすことができるようになった。もっと「いいね」をもらいたい。過激な発言や画像で注目を浴びたいなど、自分を認めてもらえる場所を探している。

 

一方で、そうした過度な自己愛によって、他者からの評価を正しく認識できなくなる場合もある。自分では格好いいと思い込んでいるが、他者からみると滑稽に映る「独りよがりの思い込み」になっている。

 

常軌を逸した行動を当たり前と勘違いする「病識の欠如」も深刻だ。例えば、がりがりに痩せてしまっていて、周囲は痩せすぎだと思っていても、自分はまだ太っていると思い込み、さらなるダイエットに励む。拒食症であることを認識できずにいるのだ。

 

ノート3:意見を聞かない人たちの集団化

日本はもともと同調圧力が強い社会である。みんなと違うことは村八分にされたり、いじめられたりする要因になる。

 

自分たちとは違う意見を排除したり攻撃したりする傾向は、実社会のみならずネット社会でも起こっている。ネットの場合、その匿名性から違う意見を思う存分嘲笑し、侮辱し、中傷できる。自然と同じ意見の人が集まりやすい。

 

それゆえ簡単に異質な意見を排除することが可能である。そうすると、自分たちこそ正義という信念が強くなる。ネット上では特に、正義をふりかざし異質な意見を退治し、正義感に酔いしれる人がいる。

 

ウンベルト・エーカーの原ファシズム(Ur-Fascismo)論によれば、異なる意見を圧殺するために“差異の恐怖”がしばしば利用される。差異の恐怖とは、大勢と違うことを言ったり、行動に移したりしたら何か実害を被るのではないかと不安になる心理である。こうした人間の心理を巧みに利用して、ナチスドイツやファシスト党のイタリアは社会の合意を求め拡充を図ることに成功した。

 

ノート4:自尊心を持つ

異なる意見に耳を傾けるには、何よりも自分に対する自信、自尊心が必要である。他人の意見を聞けない人が増えているのは、何を言われても平気でいられる自尊心が欠けているせいかもしれない。

 

フロイトによれば、自尊心は①経験によって強化された全能感②愛する人に愛される対象リビドーの満足③幼児期のナルシシズムの残滓によって形成されるという。①や②によって自尊心が得られない場合。幼児期のナルシシズムに頼るしかない。わがままを言っても、周囲がすべてに応えてくれた子供の時の満足感だ。

 

自信も経験もなく、誰からも愛されない人に対して働きかけるのは最も困難である。「床に寝転んで手足をバタバタさせながら泣きわめく駄々っ子(p.130)」のような自尊心は、何を言っても通用しないのである。

 

 

 

「最近、池上彰さんを見習って新聞を3誌とって切り抜きしている。一つの出来事について違う見方ができて勉強になるぞ。君も新聞はとっているだろう。やってみるといいよ。」

 

「いや、私は新聞をとっていないのだ。朝のニュースを見るだけだね。あとヤフーニュースとか。」

 

「俺は毎日気になる記事を切り取って、時間があるときに読んでいるよ。たまっていくと、ますますその問題について詳しくなるぞ。やってみなよ。」

 

「俺は専門家じゃないから詳しくならなくていい。」

 

「何言っているんだ、経営者だろう。世の中のことを知るのは大事じゃないか。」

 

「何も新聞だけが情報じゃないよ。本も読んでいるし。大丈夫だよ。」

 

彼は引き下がらない。「池上さんもこれをやると、物事を多面的にとらえられるって言ってたぞ。」

 

おっと池上さんを出してきやがった。「いや、池上さんはニュースキャスターだろ。仕事だから新聞をたくさん読んでるんだよ。そうでなかったら、彼はよほどの暇人だ。朝、大量の新聞を読んで切り抜きなんかしてみろ、奥さんに怒られるぞ。キッチンで野菜でも切っている方がよっぽど役に立つわ。」

 

「いやわかってないな。朝の時間は大事なんだ。有能な経営者は朝からジムに通ってカラダを鍛えているんだ。自分の時間は貴重なんだよ。」

 

だんだん、イライラしてきた。

「そいつらはよっぽど独善的な奴らだよ。まったく家庭のことなんか考えていないよ。走る暇あるなら、掃除を手伝ってやれよ。それが思いやりだ。思いやりのない経営者はろくでもないよ。俺なんか朝は子供の面倒を見て、朝は一番にお店に行って掃除もしている。なんでもかんでも自分のために時間を使うっていうのはおかしい。仕事は人のためにするもんだ。」

 

あっけらかんとした彼は、それ以降私に話をかけなくなった。気がつけば別のグループに入り込んで、またドラムの練習について熱く語っている。

 

会話を振り返ってみると、なるほど自分のほうが人の話を聞いていない気がする。素直に「ありがとう。今度試してみよう。」とだけ言えばよかったのだ。しかしそれをすると、また別の話題で、何かを勧められそうな気がした。そう、自己防衛なのだ。だから彼が面倒くさく感じて、反論ばかりしてしまったのだ。

 

常にオープンマインドに、誰とでも会話ができ、人の意見をよく聞きながら、流されず自分の意見を持っている。そして、柔軟に他の意見も取り入れる。そんな人間になりたいものだ。