ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

政治に参加するには『あなたのまちの政治は案外、あなたの力でも変えられる』を読む。

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知り合いが浮気現場を目撃され、噂が広がった。ラブホテルに入るところを見られたのである。もともと、付き合ってはいないが、とても仲のいい二人だった。何かあるかもね、とささやかれることもしばしばあった。今回の件で、「ああ、やっぱりね。」という声が聞こえてきた。だったら今の彼女を精算してから、付き合えばいいのに。厳しい意見が相次いだ。

 

しかし、本人は「ホテルには入ったけど、寝てない」と弁明している。「普通のホテルが満室だったから仕方なく。しかも、部屋を案内して自分はすぐ帰った」というのだ。ホテルの中で何があったか。真相はどうでもいい。ここで重要なのは「ホテルに入った」という事実だ。状況証拠で我々は十分なのだ。噂はすぐ広まる。ぬかったなと冷ややかに突き放してやった。

 

ラブホテルの一件は、政府が抱える加計学園問題にも通じるものがある。親密な関係を知られている首相と理事長。そこに、今まで規制されてきた獣医学部の新設。加計学園に肩入れを指示するような文章。ここまであれば、我々は納得なのだ。ほとんどの人にとって真実はどうでもいい。これだけの状況証拠で、これは悪いことが起きていると判断できるのだ。

 

 

こうした自民党の政治スキャンダルや支持率低下を、メディアのせいにする輩もいるが、メディアは権力のチェック機能。当然のことをしているだけ。メディアに取り上げられる話題を振りまいている政治家の脇が甘いのだ。「馬鹿だねぇ~」と、国民は冷ややかに見ている。

 

というわけで、やっぱり政治は魅力的ではない。国のため、地域社会のために仕事をしているはずなのに、報われない職業だ。政治への無関心が話題になるが、おもな言い分は以下のようになるだろう。

 

まったく結果を出していない。そもそも期待していない。どうせ彼らに任せても何も変わらない。

 

とは言っても、無関心ではいられない。子どもを持つ親として、保育園、学童保育が必要だ。田舎で一人暮らしをしている父を持つ息子としては、誰かに介護してもらう必要がある。生活者として政治に関わって生きていかなければならないのだ。かと言って、政治参加が選挙だけでは心許ない。たった2週間くらいで議員の良し悪しを決めて投票しなければならない。地方議員の醜態は度々テレビでも取り上げられていて、もはや地方議会不要論さえ出ている始末だ。

 

本書は、政策に関する数々の受賞歴を持つ、元つくば市市議会議員が、我々の身近な問題を詳しく解説してくれている。保育園の問題、介護の問題から、教育委員会の仕組みや、街灯設置、居住区の選定、公共事業の入札制度など、自分の街の仕組みがよくわかる。

 

そして、そうした課題に対して我々市民が何をできるかを説明してくれている。

 

ノート1:役所に提出する要望書

市民の要望は行政に直接提出することができる。特に決まったルールはなく、役所に「こうして欲しい」との思いを伝えることは可能だ。2013年には杉並区のママさんたちが、待機児童の早期解消を求める要望書を提出して話題になった。しかし、要望書は行政に対する拘束力はない。要望が必ずしも受け入れらるわけではない。

 

行政はあくまで、執行機関。市長が決めたことを行うのだ。我々は地方自治においては首長と議員を選挙で選ぶ権利がある。二元代表制だが、地方の場合ほとんどが首長が実権を握っている。議会は形式上チェックをするが機能していないのが実情である。こうした機能不全を解消するために、全国で議会改革を進める動きが加速している。地方議員と首長が政策を競う仕組みも作られてきている。

 

ノート2:議会に提出する請願書

市民が請願書を提出する場合は、役所への要望書よりも効力を発揮することが多い。しかし、一方でハードルも上がる。まずは、請願書を提出するにあたって、地方議員の紹介が必要である。子育てに関する嘆願書をお願いしたいならば、子育て問題に取り組んでいる議員のホームページなどを閲覧しメールや電話で面会をお願いする。そして、その議員が請願書に同意して初めて議会に紹介される。そこから、議会で採択・不採択を決定する流れになる。議会で採択されるということは、議会からのバックアップを得たことになるので、首長としても政策変更をせざるを得ない。

 

請願書を提出する際に重要なのは、選挙で選ばれた議員がどの議案に対して賛成、反対をしたのかを知ることである。ある地方では、議員の投票行動を一覧にして市民が閲覧できるようにしている。

 

ノート3:住民投票

住民投票の結果には拘束力はないが、請願書や要望書よりも効果的でもある。多くの住民の総意を首長や議員が無視することはできない。なぜならば次の選挙で負ける可能性が出てくるからだ。住民投票では、原発再稼働など重要な事案だけでなく、校舎へのクーラー設置の是非などより生活に身近なものまで行われる。

より住民に身近な議題こそ住民投票に向いているのかもしれない。しかし、住民投票までのプロセスは複雑で険しい。まず、住民投票を行うための署名を有権者の50分の1を集める必要がある。署名がそろったら、議会に提出され内容を吟味され多数決にかけられる。多数決を獲得して初めて条例ができ、それからようやく投票という流れになる。

 

ノート4:議員への立候補

最終的には自らが議員や首長になって、課題を解決していくという選択肢がある。首長は30歳以上、議員は25歳以上から立候補は可能である。そのときの障害になるのは、お金である。選挙にはお金がかかるのだ。立候補する時点で供託金30万円(市長の場合100万円以上)を支払わなければならない。これはデポジットであり、立候補者がふざけて参加しないために設けられているという。しかも選挙で一定数以上の票を獲得しない場合には、供託金は没収されてしまうのである。

もう一つ、障害になるのは勤めている人が選挙に出る場合には、会社などを辞めて活動を行わなければならない。日本の労働市場は硬直化していて、期間中の休職扱いや、ダブルワークの制限がある。落選した時のリスクが大きすぎるのである。

 

世界には、供託金制度がもっと安く、自分の仕事を続けながら議員の仕事をこなせる環境が整っている自治体もある。日本でもこうした制度をより柔軟に取り入れていくべきである。

 

 

 

選挙以外にも様々なアプローチで政治に参加することは可能なようだ。しかし、やはり自分の時間や労力を割いてまで熱心にできるのだろうか。もともと今の政治制度は一般の人が参加できない代わりに、プロが社会の課題を解決するはずである。今の政治を見ていると、歯がゆくて仕方がない。

 

あんだけ優秀な学者をたくさん揃えて、「ようやく獣医学部新設1校できました。どうですかみなさん、規制緩和ですよ。」と自慢げに話されても、国民の立場に立ってみると、「もっと大事なことやれよ」なのである。どうもこの国は、地位や権力が上がると能力が落ちるようだ。この国は、一般人でもっている。労働者でもっている。改めて痛感する。

 

アベノミクスも、プレミアムフライデーも、子供の休日(検討中)も、喜んでるのはお偉いさんだけ。「また始まったか」と国民は嘲笑している。

 

結局、政治家などあてにしていられないから、我々は少しでも生活を改善するために粛々とやれることをやるのである。