ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

理想的日本人を求めて『文部省の研究』を読む。

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テレビをつけると、日本が好きな外国人の特集なんかやっている。「日本のどういうところが好きなのか」「日本はほかの国とは何が違うのか」などインタビューを交えて、日本のすばらしさを日本人に向けて放送している。

 

本屋に行けば、「実は中国経済は破たんしていて、日本経済は世界2位だ」とか、「日本は世界5位の農業大国だ」、「日本経済は復活する」など日本は素晴らしいですぜ、と絶賛する本が並んでいる。

 

アナリストのデビット・アトキンソン氏の著書によれば、世界のツアーガイドブックには、『日本人は「日本はどうですか」と聞いてくるので、素晴らしいですと答えてあげましょう』などと書かれているそうだ。日本人というのは、外国の評価をものすごく気にする国民のようだ。

 

自分たちは素晴らしい国民だ。マナーがよくて、スタジアムのゴミは持って帰る。空気を読むから、秩序をみだりに乱さない。世界第三の経済大国で、ものづくりも得意だ。借金まみれで、年金も破たん寸前。高齢化で若者の負担がますます増える。政治家も不倫とか暴行とか、忖度でちっとも頼りない。生活水準なんて20年間変わってなくて、今や韓国とほとんど同じ。それでも我慢して、暴動も起きないなんて奇跡的でしょ。どうですか、外国人さん、といった具合に日本礼賛を求めるのである。日本が外国に認められたと、国民にフィードバックするのである。

 

逆に日本を批判しようもんなら、「日本の文化がわかっていない」と一蹴。批判をまともに受け止められない。考え直すきっかけにもならない。このような文章を書いていると「売国奴」と罵られる。政府に批判的なマスコミは“マスゴミ”となる。

 

「そう落ち込むなって、胸張って生きようよ。外国人はみんな日本が素晴らしいって褒めているよ。」何やってもうまくいかないもんだから、自暴自棄になって自分たちで自分たちを慰めているようだ。実にCREEPYである。

 

 

外国への承認欲求という性質が、国民性だとしたら教育の問題なのだろうか。最近、世の中を騒がせている文部科学省についてちょっと勉強しておこうと思って読んでいる『文部省の研究』にそのヒントが載っていた。

 

 

ノート1:欧米ありきの教育方針

明治維新を成し遂げた明治政府の国家目標は、近代化であった。欧米列強に「追いつき追い越す」ために強い国民国家を作ることが喫緊の課題だった。政府内では、洋学派が教育を支配していたため、欧米の啓蒙思想に影響を受けた、個人の自由、平等など普遍的な価値を教育に取り入れる試みがなされた。

 

最初の教育方針となる『学制』には、“国家に依存せず、自力で身を立て、生計の道を図り、仕事に打ち込む、独立独歩の個人”(p.21)を理想的な日本人の姿とすることが明記されている。これ洋学派の先駆者であった福沢諭吉の『学問のすすめ』、中村正直の『西国之志編』に通ずる教育思想であった。国家は教育に干渉すべきではないという考え方である。

 

しかし、欧米列強によるアジアの植民地化が迫っている状況で、近代化を急ぐためには上からの国家形成が必要であった。かねてから啓蒙主義に否定的であった明治天皇の意向も大きく働いて、儒教学派が教育の中心に登場してきた。儒教をベースにした道徳教育を説き、日本国民の軸を作ろうとしたのである。さらに自由民権運動や武士の反乱を抑えるためには、国家権力を強大化し思想の抑え込みをするためには、国家に従順な日本人を理想とすべきという考え方がでてきた。

 

ノート2:国家主義と世界主義

日本の教育方針が二つの考え方でぶつかり合う中、当時の法制局長官、井上毅啓蒙主義儒教主義とはことなる第三の道を作った。教育勅語』である。啓蒙主義的要素は完全に排除され、儒教主義のいいところを道徳教育に活かしつつも、天皇国家に奉仕する従順な近代的国民を理想としたのである。ここに日本の国家主義の起源が見られる。教育勅語はよく考えられた文章で、読み解くのは難しくさまざまな解釈ができるゆえ、近代以降も論争の的になってきた。

 

1984年の日清戦争を皮切りに、日本は欧米列強と植民地を競うようになる。ロシアへの勝利第一次世界大戦の参加を経て日本は、すでに大国の一員になっていた。そういう状況の中で再び、啓蒙主義派が台頭してくる。大国として国際的に尊敬される国になる。「個人の能力を伸ばしていく教育を、世界に通用する人材育成を」という声が政府の中から聞こえてくる。西園寺公望は文部大臣として、大胆に世界主義を打ち出し、科学教育、英語教育、女子教育の重要性を説いた。教育勅語はもう古いとされたのである。

 

ノート3:国民精神の概念

戦争には勝ち国際的な地位も上がった。しかし日本の実情は、大国とは名ばかりの苦しい状況が続いていた。獲得した植民地に対して、欧米列強から干渉を受け続けた。戦争により国内の経済状況も悪化していった。国民の怒りの矛先は欧米に向けられた。当然、西園寺公望の目指す世界主義に対する反発が起こった。また世界的に広がる共産主義の脅威も、国家主義者たちに味方した。改めて、天皇国家に奉仕する従順な国民を育成することが重要とされたのだ。『国体の本義』では、徹底的な国家主義を完成させた。すなわち、

  • 天皇はおのずから高徳であり、その位も強固で神聖である。
  • 日本臣民は生まれながらに天皇に奉仕する。
  • 日本人の生活基本は家であり、皇室を宗家とする一大家族国家である。
  • 日本の個はあくまで全体のなかの部分であり「没我一如」である。

 

こうした国家主義民族主義が「八紘一宇」「大東亜新秩序」を招き、太平洋戦争で大きな国民の犠牲を生んだのである。

 

ノート4:戦後の日本人

戦前は、文部省の影響力は弱く、内務省が教育に対する権力を握っていたが、戦後は文部省、自民党議員(文教族)が中心になって理想の日本人像を追い求めた。GHQと文部省は互いに利用しながら教育改革をしていった。教育基本法』では、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」を謳っている。ここにきて再び、普遍的な価値を持った日本人像が描かれている。しかし、今回も普遍主義が勝つことはなかった。

 

冷戦がはじまり、共産主義が脅威となったことで、共同体主義への揺り戻しが起きたのである。そして、戦後復興を急ぐ日本は、経済成長を支える「企業戦士」の育成に力を入れようとした。責任をもって黙々と組織のために働く日本人を理想としたのである。

 

そして現在、経済成長が終わり、政治、経済が混乱するなか、グローバル化の波が押し寄せるなか、新しい日本人の理想を模索している。

 

戦後の文部省の仕事を見てみると、日本人の教育よりも、「日教組」の排除に力を入れていたことがよくわかる。歴史的に文部省は、内務省やその他権力に、実権を奪われてきた。3流省庁などと蔑称があったようだ。だからこそ、より権力にしがみつきたいという習性が組織に染みついているのだろうか。天下り問題などを見ているとそう思う。

 

文部省の歴史で一貫しているのは、理想の日本人を創るにあたって、つねにグローバリズム(普遍主義)とナショナリズム民族主義)の調和を図ろうとしてきたことだ。そして、時に大きくナショナリズムに傾いてきた。

 

日本人が外国への評価を求めるのは、国家形成の過程で外国を意識せざるを得なかったからではなかろうか。しかし、外国(特に欧米)の持つ普遍的な価値観を十分に浸透させる機会を失った。近代化をトップダウンで行い、国家主義を近代教育の柱にしたからだ。日本国は神の国、特別な国と教えられてきたためだ。だから外国に「追いつけ、追い越せ」した割には、いわゆる近代国家の政治・経済とは一線を画している。そこには、共同体主義で根付いた独自の文化、空気が存在するからだ。都合の悪いことは、文化や伝統を盾に無視してきた。他の国で行われて成功したことでも、受け入れられないものがあった。

 

現在の日本も同じ気がする。少子化問題ではフランスに好事例がある。移民政策もヒントがある。労働改革だってうまくいった例はある。しかし、試そうともしない。「日本は独自の文化や価値観があるからだ」と信じているからだ。

 

確かに、同じことをやってもうまくいくかどうかはわからない。しかし、課題があって、解決策も提示されているのに、やらないのは怠慢である。そして、うまくいかないことには蓋をして、いいところだけを見せて外国人をうならせて、それを見て満足感に浸っている。悲しきナルシシズムの成れの果てだ。

 

私はどちらかというと、自立した個人こそが国を強くすると思っている。国に頼らず国を支える人間になりたい。文化や価値観などこだわりを捨てて、課題の解決に必要な知恵を吸収する柔軟性をもっていたいものである。