ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

その分析は何のため? 『会社を変える分析の力』を読む。

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最近、お昼はテレビを見ている。この時間帯にやっているのは、お笑い芸人のロケ番組か、徹子の部屋か、ワイドショーくらいだ。そう言えばお昼の顔は、タモリからナンチャンになっていた。500円そこらの弁当を食べているのに、東京の人気グルメなんか見せられたら、それも品のない食べ方で「うまっ」とか言っている芸人を見せられたら、ますます食べる気を失うので、ワイドショーを見る。

 

北朝鮮問題に詳しい方々が連日、朝鮮有事の可能性について見解を述べておられる。アメリカの思惑、北朝鮮の挑発行為の意図、中国がどう動くかなど、まあよくもあれだけ詳しく分析して視聴者に提供してくれるものだ。さすがプロの専門家だ。我々が知らない情報を教えてくれる。きっと、あらゆる手段を使って情報を入手し、深い考察のもと分析をしてきたのだろう。

 

しかし一方で、もっと他にニュースないの、時間割きすぎじゃないか、とも思ってしまう。こう言ってしまうと、日本が戦争に巻き込まれる可能性があるのに無関心ではいられまい、と返事が返って来そうだ。

 

せっかく素晴らしい分析をしているんだから、北朝鮮のアナウンサーのマネをしたり、リーダーの髪型を笑ったりするような野次馬丸出しの私に語るよりも、政府にアドバイスすればいいのに。

 

情報を伝えてくれるのはありがたい。世の中で起きていることを知りたい、知っていなくてはいけない、そういう欲求とか使命感のようなものは持ち合わせている。それにもやはり限度がある。コメンテーターに、「日本政府はこう対処すべきだ」「Xデーはいつだ」と言われても、「なるほど~」で終わる。そこまでは必要ない。私は、国を動かす人間ではないのでXデーが迫っても、逃げるしかない。

 

本書はビジネスの現場における「分析」のあり方がテーマであるが、「何のために分析をするのか」は分野に関わらず考えなければいけない。最近もてはやされているデータサイエンス・ビッグデータ。データ分析はその手法に目が行きがちだ。

 

しかし分析の価値はどれだけデータからキレイな法則を見いだせたか、色んな情報から将来の予測ができたかではない。まして、「どうですか、凄い分析でしょ」と自分の分析力をひけらかすことでもない。分析の本質は意思決定にあるのだ。3年前に読んだ本をもう一度読むことにした。

 

ノート1:分析の価値

分析の価値=「意思決定への寄与度」×「意思決定の重要性」(p.27) 

 

分析には数学が得意でなければならない、難しい分析モデルが優れている、はすべてズレている。分析で重要なのは、分析で何がわかったか、意思決定にどう役立つのか、である。分厚い報告書も、難しい数式も使ってもらわなければ意味がない。あくまで分析モデルはモデルであり現物とは違う。

 

それゆえに、予期せぬ結果が起こりうることは想定しておくことは大切である。ノーベル賞を取った経済学者が自信のモデルに当てはめて資産運用を行った会社は、モデルから逸脱した出来事が起こったことで倒産した。モデルを現物と勘違いすることは危険である。

 

ノート2:分析の手順

ビジネス課題を見つける→分析問題を解く→数値解を示して使ってもらう→それによって意思決定に役立つ。課題発見力・分析力・実行力の3つが揃って始めて分析に意味がある。

 

そのためにも、机に座ってデータとにらめっこするだけではなく、ビジネス視点に立って発想すること、現場の人から話を聞くこと、意思決定者が動きやすい提案にすることを心がけなければならない。

 

ノート3:勘・経験・度胸を侮らない

これらを非合理的であると切り捨てることはしないほうがよい。特に複雑で将来の予測が難しい時にこそ、現場の勘・経験・度胸のほうが正しい意思決定を行えることもある。データ分析に謙虚であるとともに、現場の声・意見に耳を傾けるべきである。

 

世の中の情報は膨大である。しかもインターネットが、情報へのアクセスを可能にした。誰もが色んな情報に触れることができる。それを集めて分析をすればかなり高度な予測や法則を見出すこともできるのである。母数が増えれば正規分布に近づく。

 

しかし、それでも予期せぬことはたくさん起きる。優秀な経済学者達でさえリーマン・ショックを予測できなかった。原子力委員会東京電力もとてつもない津波が来ることを予測できなかった。分析した人間は「想定外のことが起きた」と弁解する。

 

 

高校の時は、数学でキレイに答えがでたり、式が作れたりすると嬉しくなった。しかも、それが正解だった。データ分析ではこうした感覚を持ってしまうと危険だということだ。現実社会に正解はない。そして、分析結果をもとに行動しなければ意味がないのである。現状を変えるために、次にどう行動するかを決めるために分析はある。

 

たかだか1時間程度のワイドショーを見ていて、なぜか気になってしまった。直接の意思決定者ではない我々に北朝鮮政策について熱く語られても、何も変わらない。我々の意思決定は、せいぜい「危ないから核シェルターを買う」だ。

 

1週間、同じ人がずっと同じ事を話しているから、結局「徹子の部屋」にした。ル~ルル、ルルルルルル~♪ 朝鮮有事の裏側では平和が続いているようだ。

 

サザエさんが泣いている『企業不祥事はなぜ起きるのか』を読む。

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小学校での成績は抜群によかった。ほとんどいつも満点だ。勉強しなくてもできることが自慢だった。学校から帰ると夕飯前までがっつり友達と遊んで、風呂に入って寝るだけだった。友達も同じように家に帰れば疲れて勉強なんてできない状況だったから、なおさら私と友達の学力の差がついた。

 

ある時、理科で80点を取ってしまったことがあった。80点でも平均点よりは上だ。普通の子どもならば喜ぶであろう。しかし、自分がなまじっか頭いいと思っているうぬぼれ屋だから、80点はショックだった。そして、親にバレるのが怖くなり、いつもならテストを自信満々に見せるのに、ひっそりと机の中に隠してしまった。まるでテストがなかったかのように。

 

隠蔽やごまかしとはこうした事が癖になって身につくのだろうか。東芝がなかなか決算の承認が得られず、再び発表を延期するようだ。延期回避の苦肉の策として監査なしで決算発表するとの報道も出ている。とんでもない負債を抱えることになり自暴自棄になっているのか。もはや何でもありだ。

 

日本メーカーを代表するブランドが、粉飾決算を隠し続けた挙げ句、もうどうせ上場廃止だからという諦めで「監査なしでよくない?」と開き直ったのにはがっかりだ。気のせいか、今使っている東芝の掃除機の吸引がすこぶる悪い。

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読書は頭の鍛錬だ 『わかったつもり』を読む。

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怒濤のような3月が終わり、新年度だ。日本では1月と4月が年のはじめである。4月からの手帳も売っているくらいだ。1月で躓いたら、4月から挽回できる。そういう意味では、もう一度「今年こそ」と目標を確認するのも悪くない。年を重ねるたびに、時間が経つのが早く感じる。忙しいからなのか、世の中の変化のスピードが速いからなのか。

 

3月は忙しくて新聞もろくに読んでいなかったので、少しばかり世の中に疎くなっている。それでもなんとかついて行けていると思ってもいる。新聞を読まなくても、見だしを見れば内容はわかる。雑誌・ビジネス本は特に飛ばし読み。それでも内容はつかめる。全部を読まなくてもいい、欲しい情報が見つかれば。全体像が見えれば。

 

情報が多くて、世の中の動きが早い社会では、こうした読み方は効率的である。忙しい環境で情報・知識を取りに行くと、結果的にこうなってしまったのだが、「短い時間で最大のアウトプットを」と謳う、流行の生産性の観点から見れば正しいのだろう。

 

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コンビニの未来が楽しみだ 『セブンイ・レブン1号店 繁盛する商い』を読む。

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ネット通販大手のアマゾン・ドットコムが、本拠地シアトルに食料品を扱う実店舗を出した。面積167平方メートルの店舗にはレジや精算カウンターがない。アマゾンのIDで店舗に入って、商品を棚から取って、袋に入れて帰るだけ。センサーにより棚から取った商品を探知し計算して、合計金額を買い物客の指定の口座から引き落とす。棚に戻せば、センサーによって取り消しもされる。そんな仕組みだそうだ。

 

あくまで実験らしいので実用化して、店舗展開するかは不明である。このCMをYoutubeで見た。Suicaで駅構内に入る感覚でスマホをピッとかざして入店して、商品を好きなだけとって、ピッてタッチして去って行く。これには、商売をやっている身としてはかなりの衝撃を受けた。実店舗でレジに並ばないなんて。コンビニとかで、待たされるあのイライラ感から解放されるのだ。セルフレジのように、自分でバーコードをかざしてもなかなか読み込まなくて、結局時間がかかって、並んだ方がマシと後悔することもなくなるのだ。

 

アマゾンもそうだが、アメリカの企業というのは本当に考えることが大胆だ。並ぶのは我慢、少しの不便くらいでイライラしない、という考えが美徳とされる日本では、この発想は生まれないだろう。しかし、日本人はアメリカの真似するのは得意だから、将来的にはこうしたAI技術を使って無人の、しかもレジなしのコンビニなんかもできるのかもしれない。

 

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国だって万能ではない 『愛国の作法』を読む。

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久々におぞましい映像を見た。幼稚園児が「安保法制の成立おめでとうございます」などと言っている。「がんばれ安倍総理」なんて叫んでいる。これには開いた口がふさがらなかった。口に入れようとした白米が箸から滑り落ちたのである。

 

教育というより洗脳だ。何でもその幼稚園を運営する学校法人が、政治家への口利きで安く土地を購入して小学校を建てるらしい。

 

私は自由主義者なので、自分で考え自分の意思で行動できる子どもを育てたい。そろそろ選択肢として別の国も視野に入れた方が良さそうだ。私の娘は待機児童である。早いとこ保育所増やして欲しいと思う反面、こういう現状を見ると保育所も数じゃなく質だよなと思ってしまう。

 

政治家に言わせれば、「これは国を愛するための教育だ」ということになるのだろうか。「愛国」という言葉は危険な臭いがする。「日本は素晴らしい」「日本は特別な国」「日本人にはもののあはれという感情がある」こういった類いの主張が登場するからだ。ハッキリ言って気持ち悪い。私も日本人なのでこの国が好きだ。好きだからこそ、もっといい国になって欲しいと願うのだ。欠点はあって当たり前。

 

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我々は自分が思うほど自由ではない 『寝ながら学べる構造主義』を読む。

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娘には是非とも英語をマスターして欲しい。およそ20年間の教育を受けてさえも英語を話せなかった親としてのたっての希望である。

どれだけ時間を無駄にしたのか。教育という名の下、This is a pen.から始まった莫大な投資は、完全な失敗に終わったのである。もちろん効果が出ない時点で撤退も考えた。英語にお金と時間をかけるなら、自分の得意な科目にかけるべきだったのだ。

しかし、どういうわけか英語に執着し、英会話に行き、TOEICを受け、留学までした。義務教育で慣らされた英語絶対論に毒されていたのだろう。それとも「ここまでやって無駄に出来るか」と思ったのであろう。

学校教育というシステムに組み込まれている以上、中学校で「俺は英語は向いてなさそうだから、数学の時間を増やしてください」とは言えまい。「効果が出ないのでやめます」という選択肢がない。英語教師の善し悪しを判断できる能力もない。

悲しいかな、自分の能力を高めるための教育が足かせとなり、英語ができないという劣等感だけが産まれ、英語の代わりに費やすべき時間とお金で手に入れることが出来たであろう私の隠れた才能は開花せずに終わったのである。

恨み節はここまでにしておき、『寝ながら学べる構造主義』のまとめを記しておきたい。我々は意識する、しないに関わらず、行動・思考が制約を受けている。しかし、おおよそそれには気づかない。自分が正しいと思う判断は、自分が考えたモノではない。

自分がとった行動さえも自分の意思ではない。英語の勉強を「絶対に役に立つ」と思って、無駄に頑張り続けた自分さえ、自分の意思ではないのかもしれない。そんな恐ろしい構造主義について学んでみた。

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欲に正直に生きる 『野心のすすめ』を読む。

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働く女性との縁は深い。母はずっと公務員。妻もバリバリのキャリアウーマン。私はエステサロンを経営している。前職も女性が6割以上の会社に勤めていた。それゆえに、女性の働き方には理解がある方だと自負している。

 

こないだ、アルバイトスタッフから労働時間の短縮をお願いされた。夫の扶養に入っているため、あまり働き過ぎないようにしたいそうだ。小学生と幼稚園の子どもがいて、ギリギリで生活している。確かに中途半端な労働時間ほど損をする。正社員として自ら社保に入って働いた方が得だ。しかしそこまで踏ん切りはつかない。子ども達がせめて中学を卒業してくれればエステティシャンとして独立したいと考えている。

 

あと10年。その頃には彼女も40を過ぎるだろう。果たしてそこまでアルバイトでモチベーションを保てるのか。本当はもっと働きたい、独立したいという願望があるにもかかわらず我慢を強いられる環境を話されると、男は何も言えまい。もっと男が働いて稼げよ。奥さんを楽させてあげろよ。そんな声がどこからともなく聞こえてきた。

 

人生は苦難の連続だ。みんな我慢しながら生きていくのだ。しかし、願望を抑えることが健全な我慢なのか。願望を叶えるために苦労することが我慢だと思うのだが。

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