ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

『科学という考え方』を読む。

エステサロンを経営している。が、自分がエステをするわけではない。人を雇って働いてもらっている。思ったよりも売上げが伸びなくて、毎月赤字だ。かといって焦っても自分でなんとかできるものではないから、半ばスタッフのやる気と営業力に賭けているところがある。株式投資では、お金に稼いでもらい、オーナー業ではスタッフに稼いでもらう。自分で稼ぐ労働賃金以外からもしっかりお金が入ってくる仕組みを作ろうとしたが、世の中そんなにうまくは行かず、おかげで家計は火の車である。それにしてもサロン業はまずかったか。特に、スタッフ同士の内紛には頭を抱えるばかりである。スタッフAとスタッフBは、どちらも積極的にオーナーである私に、今後の店舗運営で同意を求めてくるのだが。

 

価格設定に関して、こんなやりとりがあった。腕に自信のあるAは、とにかく単価を上げたいという。マーケットより低い単価にしているため、お客さんの質が下がってしまう。価格だけ見て初回サービスが安いから予約する。いわゆるお試しが多い。それよりも、単価を上げて、お客さん一人の質を上げた方が、契約にもつながるのだ。一方、自分のお客さんが少ないBは、単価を下げたいという。とにかく、空いている時間が多いのだから、価格を下げてでも来てもらった方が無駄にならない。価格が安くても、全員が低価格だから来店するわけではない。客数が増えれば、母数が増えるのだから契約数も増えるのだ。話を聞くと、なるほどどちらも理にかなっている。こうなると優柔不断の私は、悩んでしまう。もっともらしく聞こえるからだ。そして、どっちも必死にその正当性を主張するのだ。いっそジャンケンで決めたらなどと口に出そうものなら、オーナーの権威は失墜し、熱意あるスタッフが去り、ますます苦境に陥ることに違いない。こうしたジレンマにいつも頭を悩ませられる。自分で考えない人間の典型ではあるまいか。

 

こうした議論は、ビジネスや政治の場はもちろん、日常生活でも起きうる。消費税増税の是非についてもそうだ。賛成派の主張も筋が通っているし、反対派の主張にも納得してしまう。私のように流されやすい人間は、一方の主張を聞けば「たしかに」。片一方の意見を聞けば「なるほど」だ。このよく言えば素直すぎるこの性格を呪うべきか、結局どっちがよいか、正しいかの判断ができないのである。

 

主張によって論理は作れる。つまり論理的=正しさではないのだ。考えてみりゃあ、そりゃそうだ。その主張を通したいのだから、それが納得できる論理を作ればいいのだ。言い訳だって同じ、「自分は悪くない」って思うと無意識に論理を構築していくものだ。

 

『科学という考え方』は講義式でケプラーとか、ニュートンとかアインシュタインといった科学者達が、どのように考えて自然科学の法則や原理を発見したかを教えてくれる。その中に、正しい考え方のヒントみたいなものがちりばめられていた。

 

質量保存の法則、相対性理論慣性の法則…高校の教科書にでも出てくる用語がたっぷり載っていて、かつて物理で3点(100点満点中)をたたき出し、周囲から「長嶋監督」(背番号と同じ)と小馬鹿にされた私にとって厄介な内容であった。しかし昔は昔、大人になれば意外にも面白く感じるものである。しかし、本筋はあくまで相対性理論などの中身ではない。偉大な科学者たちの考え方にある。

 

ノート1:科学という考え方とは

・科学とは、“人間の直観を正していく作業”である。

・自然現象に関して、ある法則・原理を発見する、というよりは「説明」すること。

・人間には見えない事象であっても、それを人間が認識できるレベルに説明する。

・人間の認識という主観と、事実という客観が常に内包されるものが科学である。

 

ノート2:論理的思考とは

・科学的に論理的思考とは、実証あるいは反証できる命題であること。

・自ら立てた仮説や、直観的なひらめきが、データによって正しいか間違っているかを検証する。

・データに論理を合わせる。論理にデータを合わせるのは科学的思考ではない。データの取捨選択を謝ると、思考の道筋が変わってしまう。

・批判・反証こそが、真実にたどり着く一歩である。歴史的にみて何度も法則・原理は塗り替えられた事実がある。

 

ノート3:日常での考え方に関するヒント

・批判に寛容になること。(自分の論理の穴を教えてくれる。)

・相対論的であること。(相手の立場に立って物事を考える想像力が必要。)

※相対性とは、他と比較するではなく、人との立場を変換すること。

 

我々はともすると、自分の論理にあったデータ・論拠を持ち出して自分が正しいとする思考のクセがある。それだと、どの立場でもある程度の論理はできてしまう。そうすると、どっちも引けなくなる。冒頭で話したスタッフAとスタッフBの意見の違いは、そんな感じだ。Aは「自分のエステの技術は相当高いのだから、この単価では自分の価値が落ちる。」Bは「空いている時間が多いから、そこを埋めて、できるだけお客さんをこなしたい。」そうした自分の主張をあたかも正当化するために論理武装をしたようだ。

 

科学的な考え方は、人間の直観を正すこと。そう胆に命じ、客観性と実証性を彼女たちに求めたい。主張する根拠となるデータは何か。そんな事言ったら、おそらく面倒くさいオーナーだなと思われるだろう。では実証性を重視して、半年間ずつ、彼らの仮説を実際にやってみよう。どっちがサロンにとって良いのかこれでわかるかもしれない。最初の仮説で売上が伸びなかったら、次の実験までにお店を畳まなければならない。仮にどちらかの意見が、上手くいったとして、もう一人はおそらく面白くないだろう。今後、お店に非協力的になるかもしれない。うーむ。オーナーとしてのジレンマは容易には解消しない。