ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

『日本国憲法の価値』を読む。

今回の参議院選挙では、優秀なメディアの方々の予想通り改憲派が2/3を超えた。有権者のどのくらいの割合が憲法改正を支持して投票したかはわからないが、憲法改正を問う国民投票ができる環境は整ったということか。国家の骨組みである憲法を改正することは、国民にとって一大事であることは間違いないのだが、それでも気が重い。こないだのイギリスの国民投票の結果を見ていると、やっぱり大事な事こそ我々の代表が議論を重ねて結論を出して欲しいと思うのである。

 

自己中心的で自分の利益ばかり考えているおバカ100人の意見が、自己犠牲の精神で本気で国のあり方を考えている賢者10人に勝ってしまうのが民主主義だ。エゴの塊である私のような人間に、投票する権利を与えるのは危険極まりないであろう。だからこそ、「賢者よ出てこい」だ。「政治家よ賢者たれ」だ。

 

日本国憲法の価値』を読んで、改憲か護憲かという二元論を超えて、なぜ憲法を変える必要があるのか、変えるとしたらどう変えるのかという議論をもっと理解した方がいいと思った。

 

ノート1:20世紀の思想家による自由・平等・公正という価値

バーリンの思想

・『消極的自由』(他人の干渉からの自由:最小限保障されるべき個人の自由)と『積極的自由』(自由を守るために権力を行使して統制する自由=参政権

・政府(積極的自由)による消極的自由の侵害が起こる可能性があるので、独裁・全体主義に結びつく。だからこそ、基本的人権の不可侵性を憲法で明文化するべき。

 

ポパーの思想

・『開かれた社会』:「諸個人が個人的決定に直面する社会」。法の下の平等を主張。

・無制限の自由は、強者が自由に弱者を脅し、弱者から自由を強奪できる。

政治は絶対的な存在ではない(多数者による専制)。批判にさらされる政治制度の提案。何度も修正しながらよりより政治を目指す。

古代ギリシャの学問の精神=批判に寛容であること。

 

ロールズの思想

・優先されるべき人間の権利とは①平等な自由 ②経済的社会的不平等の統制(公正)

・権力に対しての「市民的不服従」そして良心的拒否は認められるべき。

・自衛のための戦争は、条件付きの平和主義として認められる権利。

 

基本的人権は自由・平等である。個人のこの人権を侵されないために、政府による統制が必要である。しかし、政府が個人の自由・平等を侵す場合もある。だから、個人は政府に対して不服従する権利を持つ。それが憲法に記載されている。

 

ノート2:リベラリズム

・自由・平等(・公正)に価値を見いだす思想はリベラリズムである。

・右派・左派問わず持ち得る価値観である。だから保守的リベラリズムという概念もある。

リベラリズムの反対は、全体主義共産主義だ。

・日本では右派と左派(保革)対立が表面化していたため、リベラリズムへの価値の見直しが図られなかった。

・実際、GHQによる日本国憲法の起草に関しても、日本の代表的なリベラリストも加わっていた。日本国憲法にもこの自由・平等・公正がしっかり組み込まれている。

 

ノート3:新しいリベラリズムの台頭

・左派勢力の衰退とともに新たに出てきたのが、新リベラリズムである。

・新リベラリズムは世界的な動きである。インターネットを通じた相互接続権力により、例えば中東の独裁国家が次々と崩壊した。

・大学生を中心としたSEELDSが、政府の安保法案に反対するデモを行った。

・沖縄の世論:沖縄基地問題に対して、政府の政策を批判した。

丸山真男民主化マトリックスで言えば、個人のフェーズ(私化・自己)から民主化への流れに入った。

 

著者は護憲の立場を取っている。日本国憲法にはリベラリズムの大切にする価値観が入っていて、それを守るべきだという立場だ。だから政府の改憲派の、「アメリカによって作られた憲法だから」という理由が、改憲の議論としてはおかしいと感じている。一方で、9条の問題に関しては、ロールズの正義論が唱える「条件付きの平和主義」こそが、自由・平等を語る上で正当性のある形であるとも訴える。

 

自由・平等は素晴らしい価値観だ。誰も否定はしないと思う。ただ、それが金科玉条かといわれるとどうだろうか。やはり、人間にとって一番大切なのは命なのだよ。これが脅かされたら、自由も平等もない。確かに、日本のように平和で経済的に恵まれた国で、しかも美しいリベラリズムの価値観に従って生きてきた国の人間にとって、命を脅かされることは想定しにくい。でも、そうした価値観が育っていない発展途上国や、紛争地域では通用しない。自由を認めたら、自分の自由のために他人を殺すことがある。平等を達成するために、富の強奪が起こる。こうした地域では、こうした事が起きないように、多少不自由しても、不平等が残っていても、命が守られるなら、人々は躊躇無く軍事政権を支持するだろう。そういう国に対して、先進国が偉そうに自由・平等は素晴らしいといって、軍事政権とかを否定するのはちょっと違う気がする。

 

日本の置かれる環境はどっちかということ。命が奪われるかもしれないという危険性を感じれば、軍隊の強化が必要だ。憲法とくに9条を変えたい人はこの危険をすごく感じているのだろう。自由、平等の価値が壊れても、国に命を守ってもらいたいと切に願う人もいるはず。

 

ただ、自由・平等のためには、政府に命を守ってもらわなくてもいいという国もある。どっかの国は、憲法に「銃をもっていいよ。命を守るために。」と書いている。究極的に自由と平等に価値を置いている国だ。個人が自衛のために武装していい民主主義ってのもこの世にはある。我々もどんな国にしたいのか、それを決めないと憲法は変わらない。