ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

静寂が恋しい『沈黙すればするほど人は豊かになる』を読む。

フランスのラ・グランド・シャルトルーズ修道院はアルプスの麓にひっそりと存在している。モン・サン・ミッシェル修道院など、時代にあわせて観光などビジネスを取り入れその存続をはかってきた修道院とは異なり、この修道院では900年間、修道士のバイブルである『戒律』に従って、俗世間とは隔離された生活を営んできた。

 

祈り・労働・読書、1日ですべきことはたったこれだけ。修道士の修業の場でもありながら、衣・食・住に対する配慮がされていて、仏教の修行僧と比較すれば、厳しくない暮らしだと言える。しかし、入所して1年も経たずして辞めていく修道士が多かったため、現在は入所制限を設けている。

 

なぜか?それは孤独に耐えられないからだ。1日、一人部屋で黙々と祈り・労働・読書に勤しみ、他者とのつながりがない。唯一、普通の会話ができるのは日曜日のミサの後の数時間である。それ以外の時間は、たった一人、神と向き合って生活するのだ。インターネットの私用も許されなければ、テレビ・ラジオももちろんない。こうした生活を幸せに感じるには、修道士でさえ数年かかるという。この沈黙こそが修行の厳しさであり、これを乗り越えて初めて人生を悟れるといえる。

 

いつも感じることだが、確かに現代はうるさい。夜だって何かの音がする。自販機のヴーンという音だったり、車のエンジンの音だったり。静寂になれる場所はまずないだろう。なんといってもスマホやPCを手に入れてしまった私たちには、自分だけの世界はまず作れまい。寝る前ですらヤフーニュースをチェックするくらいだ。夜中でも平気で友達からLINEがくる。情報すらうるさいくらい生活につきまとってくる。ゆっくり一人思索にふける時間なんてない。

 

一方で、そうした生活がないと寂しい。人間はやっぱり孤独に弱い。誰かといたい。誰かとつながっていたい。これは人間の性だ。私なんか、一人の時だってぶつぶつしゃべっている。本当は静けさが怖いのだ。修道士は、この人間の弱さを克服するために孤独を選んでいるように思える。人間は人と人のつながり。修道士は人と神のつながり。神とつながれたら、それは幸せだろう。心も豊かになること間違いない。

 

もちろん、修道士みたいな生活に憧れることはないが、もう少しだけ静かな暮らしはしたいと思う。自分と向き合う時間というか、全てをシャットアウトして自分だけがいる時間だ。仕事でも、家でも誰かと何かを話している。ネット上ですら話している。たまには、全員無視してどこかへ行きたいと思う。でも静謐を保てる場所なんか、本当にお寺くらいだろう。一人旅や、寺への住み込みが人気なのがわかった気がした。

 

できたら暮らしの中で、静寂の時間を作れるようにしたい。いつもなら大音量のBGMをかけながら、ぶつぶつ独りごちて日記を書くのだが、今夜はスズムシの音色だけが聞こえる環境に身を置いてみる。