ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

相互理解の難しさ『日本と中国』を読む。

また友人が中国人の文句を言っている。なんでも、並んでいたレジに割り込んできたという。しかも、うるさいくらい大声でしゃべっている。「だから中国人は」は彼の口癖だ。中国人の人口は10億人以上。世界の人口が70億人くらいだから、7人に1人は中国人だ。

 

思えば海外旅行に行ったらどの国でもチャイナタウンはある。彼らには地の果てでも生きていける精神力と活力がある、といつも感心する。「否が応でも彼らとは付き合っていくのだよ」と友人を諭したところで、聞く耳なんか持たない。「このままでは中国人に支配される。いっそ日本は島ごと流されて中国から離れて、アメリカ大陸に近づかないかな」などと妄言を吐くのである。

 

日本と中国。世界をみても漢字を使うのはこの2カ国だけ。しかも日本は中国文化の影響を受けてきた。それなのに、お互いに嫌っているのが現状だ。書店に行けば、友人が喜びそうなタイトルの本が並んでいる。一方の中国も、反日運動の過激ぶりは恐怖すら覚える。私は別段、中国人に対して嫌悪感もないし、海外旅行などで現地の人に話しかけられたらチャイニーズと言って、中国人の名を借りているくらいだ。友人の発言から、一番近そうで遠い国、中国について気になった。

 

『日本と中国』は中国人の日本研究者が書いた日本論だ。日本人の書く日中関係の本は何冊か読んだが、中国人からみた日中関係とはどんなものなのか。

 

ノート1:誤解の構造

「同文同種」(同じ文字を使っているから、同じ人種だという考え)のはずの中国と日本がなぜこうも理解し合えないのか。ある思い込みが日本人と中国人の根底にある。日本人は、「中国文明から大きな影響を受けた国として、中国人の文化・伝統をわかっている」つもりだ。中国人は「もともと日本は中国文化に影響を受けてきた国だから、中国の亜流とみてよいだろう」と思っている。こうした思い込みをなくすために、改めて日本人は中国文化を、中国人は日本文化を学ぶ必要がある。

 

ノート2:日本研究者からみた日本人

同じ漢字を使う国民であるにもかかわらず、それで意思疎通は図れない。日本人は中国から輸入した漢字を独自にカスタマイズし、新しい概念や言葉を次々に生み出してきた。


日本人は漢字の他に平仮名、カタカナを使う。しかも文法もまったく異なる。中国語は文法が英語に近い。主語・述語の表現が多様で、自分の立ち位置によって使い分ける繊細さと、主語をなくしたり、述語をぼかしたりする曖昧さも中国語にはない。


日本人には正義と悪の二元論が通じない。悪には悪の理屈もあり、日本人はそこに一定の理解を示す。そうした姿勢は、二元論を中心に物事を考える中国人、西洋人には理解できない。


日本人は主張しない。大事なことほど話さない。「空気を読む」という言葉があるように周囲との摩擦を避ける傾向が強い。阿吽の呼吸は、日本人同士だけが通じる不思議なコミュニケーションである。


日本人は自然と一体であり、西洋や中国のような人間中心の考えからは距離を置く。だからこそ季節や自然美に対する感性が鋭く、「わび・さび」の感覚が生まれる。

 

日本文化が独自の発展を遂げたのには、その地理的な位置も関係している。日本は世界的にみても周縁国家である。洋の東西を問わず、積極的に文化を輸入し吸収してきた。極東の隅っこ位置することで、他国からの干渉にもあわなかったことから独自のペースで文化を創りそれを保ってきたのである。

 

 

親日派の先生だけあって、日本人の性格をとてもポジティブに書いてくれている。こうした洞察は自身の日本での体験を通して養われたのだろう。日本にいればいるほど、中国とはまったく異なる文化に衝撃を受けるそうだ。やはり互いの文化を知るには現地で生活するのが一番良さそうだ。

 

日本に来ている中国人を観察して、「まったく中国人は」と言っている友人も友人だが、共産党主導の中国政府の海洋進出をもって「中国人はヤバい」と言っているのもまた問題だろう。あんまりお互いの事を知りもしないで、あれこれ言っているのは食わず嫌いみたいなものだ。著者も書いているように、嫌いなら嫌いで結構、でも相手を知ることは必要だ。友人にはぜひ北京大学にでも留学してもらいたい。