ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

本当に民意は反映されているのか 『多数決を疑う』を読む。

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先日のオバマ大統領の演説は素晴らしかった。大統領候補のキャンペーンでの彼の演説を目の当たりにして以来、個人的にひいきにしている。彼の8年間の功績の評価はアメリカ人に任せよう。核なき世界を訴えノーベル平和賞をもらい、アメリカ大統領として初めて被爆地・広島にも訪問した。そしてアメリカで初めて皆保険制度を築こうとした。自由と平等の国らしいリーダーだと感じた。

 

かたやトランプ大統領である。彼はオバマ大統領と正反対。よくもまあ、同じ国の大統領がここまで違うかと感心する。政策は仕方がないとしても、振る舞い、言動がルードだし、ナショナリズム丸出しだ。大統領はアメリカ人の代表者だという。選挙結果はアメリカ人の民意だとも言う。

 

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アメリカ人の知り合いで、トランプを支持する人は一人もいなかった。彼らの落胆ぶりは見ていて痛々しかった。彼ら有権者の無力感を払拭するために、アメリカの選挙と民意について考えてみた。だいたい、これだけ複雑化した世の中なのに、「人民の一般意思」をまとめるのに二つしか選択肢がないのはおかしい。トランプかヒラリーか、「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どっちがいい?」みたいな議論が先進国で起こっているのはなぜか。ビーフカレーが食べたい人の意見はどこに行ったのか。

 

本書は、自分の意見が選挙で反映されない、自分の意見を細かく表明できない、我々有権者のもどかしさを、社会選択理論という視点で説明してくれている。このブログでも取り上げたが、ポピュリズムという言葉が跋扈している。大衆の意見の反映が、過度に政治を不安定にしているという。

 

ポピュリズムの基本は、我々有権者がお馬鹿さんで、メディアや権力者が情報を操作したり過激な発言で扇動したりして、民意を動かすことだ。じゃあ、悪いのは何でも鵜呑みにするお馬鹿さんたちなのか。本書は、悪いのは人間ではなく民主主義の仕組みにあると言ってくれている。お馬鹿な私は読んでいてとても安心した。

 

ノート1:多数決は集約ルールの一つにすぎない

人々の意思を集約する仕組みは、多数決以外にも色々ある。有権者候補者全員にマルバツをつけるケース。投票を1回行って、上位数名で決選投票を行うケース。集約ルールは身近にも存在している。例えば、サッカーワールドカップの勝ち点、本屋大賞の選考基準などがそうだ。マルケヴィッチは、選挙方法で5つの集約ルールを試したら、選挙結果がすべて異なることを明らかにした。つまり選挙結果は民意の反映ではなく、集約ルールの結果だと言えるのだ。

 

ノート2:適切な集約ルールはあるのか

集約ルールを考える上で重要になるのは、二つのポイントだ。一つは、全体での順位を重視すること。もう一つはペア比較を重視することだ。全体での順位を重視するのはつまり、A,B,Cという候補者がいてそれぞれ得票率が40%,35%25%ならばその順位通りに当選されなければならない。

 

後者は、三人の候補者をペアで比較したときのそれぞれの支持率を考えることだ。AとBのならば、Aが60%、Bが40%。BとCの比較ならば、Bが60%、Cが40%。AとCの比較ならば、Aが40%、Cが60%。じゃんけんのような状況が起こることを想定しなければならない。また、Aの得票率が40%で1位だとしても、60%(半数以上)がAに投票しないという事実も考慮しなけばならない。

 

これらをうまく満たせる集約ルールは存在しない。しかし現段階で最適と考えられるのはボルダルールだ。ボルダルールは候補者に順位と点数をつけさせる方法である。有権者は、候補者を順位に従って点数をつける。例えば1位と思う候補者は10点、2位なら7点、最下位は0点。これによって全体の順位とペア比較を考慮にいれた選挙ができると考える。

 

ノート3:多数派の正当性には条件がある

多数派が勝った場合、少数派は必ず従わなければならない。それはルールを守らない場合に罰を受けるからではない。多数決の結果と自分の判断が異なった場合、自分の判断が間違ったということになるのだ。統計学大数の法則のように、人数が増えるにつれ多数決の判断は正解率100%に近づいていく。しかし、これには条件がある。一つは、情報が適切に与えられ客観的な判断ができること。もう一つは、自分の頭で自分が関わる公的な利益を考えること(熟議的理性)。

 

ルソーが言うように、人民は概念の集合体であり、自分の利益を最大化するのではなく、個人の意思を一般化することが立法の胆である。それゆえ、意思を一般化できないものは投票にすべきではない。マイノリティに関わるもの、ある一部の利益になることなど、世界が多様化する中ですべてを多数決で決めることは多数派の権利濫用を招く。

 

ではそうした多数派の暴走を止めるにはどうすればよいのか。一つは、少数派の権利を保護する法を作ること。憲法が重要になる。二つめは複数の機関で多数決を行うこと。参議院の役割はさらに重要だ。最後に満場一致だ。人民の一般意思を示すのならばこれが理想的ではある。

 

感想

冒頭のアメリカ大統領選挙に戻る。アメリカは選挙人制度がある。選挙人の数が州ごとに割り振られていて、州の中で票が拮抗したとしても、多数決で勝った方が州の総意として丸ごと候補者に与えられる。だから有権者の実質的な得票数が、負けた候補者の方が多かったという奇妙な事が起こる。また、基本アメリカは第3極が育たない。

 

もし、バーニー・サンダースが小池都知事みたいに新政党を立ち上げたら、ヒラリー・クリントン嫌いがトランプではなく、サンダースに流れ、結果、ヒラリー1位、トランプ2位、サンダース3位でヒラリー候補が大統領になっていたかもしれない。

 

橋下徹大阪市長が、オバマ大統領の最後の演説にいちゃもんをつけていた。大阪都構想も賛成か反対かの多数決ではなく、何個か案を出してボルダルールで順位付けして決めてもらったら前に進んだのかもしれない。

 

ますます、選挙はよくわからない。誰も民主主義が悪いとは言わないが、民主主義自体を疑った方がよい。もう私は「民意の結果」という言葉が信じられなくなった。

 

 

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