ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

バラマキは間違っていない『ベーシックインカム』を読む。

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厚生労働省が、各都道府県の審議会が取りまとめた今年度の最低賃金の改定額を発表した。平均最低賃金は、前年度比25年アップの848円となった。賃金の上昇率は3%。政府は目標を達成したとし、今後も最低賃金1000円を目指すべく、毎年賃上げ3%を行っていくようだ。

 

経営者の立場から言わせてもらえれば、賃金を上げる上げないは会社の実績によって考える事案であり、政府が企業に頼み込んで、あるいは命令して上げるのはどうかなと思っている。賃上げして、会社が苦しくなったら元も子もない。

 

たしかに、企業や経営者には人を雇用し、働く場所を提供するという社会的な役割はあるだろう。しかし、人々の最小限の生活の保障として賃金を上げることは、会社の仕事ではない。憲法には、誰もが健康的で文化的な生活をおくる権利があると記されている。生活の保障をするのは国の仕事だということだ。

 

時給が25円上がると、生活の質は改善するのだろうか。アルバイトの人が4時間で週4日くらいのシフトで想定してみよう。まずは、前年度の平均最低賃金で計算してみる。労働日数を20日にして823円×4時間×20日=月給65,840円。それが25円あがった848円だと、単純に2,000円アップの67,840円になる。

 

「わぉ!2,000円も生活費が増えた!すごーい。」そんなわけあるまい。企業にお願いして、ワーキングプアの給与を2,000円あげるくらいなら、生活費を政府があげればよいのに。

 

 

日本人の生活はこれまで、企業によって守られてきた。終身雇用で最後まで面倒を見てくれる。手厚い福利厚生で、家賃なんかも出してくれる。厚生年金もある。結局、日本政府は生活の保障という点で企業に頼り切っていたのだ。ところが、企業は景気にも左右される。ここのところ成績が芳しくない日本企業にいろいろと求めても無理なのである。

 

生活が苦しい人達へのセーフガードとして生活保護がある。国家予算100兆円のうち3.8兆円くらいだ。(内閣府)受給者は約200万人。3人(子ども4歳を想定)暮らしだと平均で約15万円ほどだ。(厚生労働省)働き始めたら支給額が減っていく。働いても給与が低いのに、働いたということだけで支給が減らされるから、働かないでもらい続けた方がいい。だから不正受給の跡がたたない。

 

日本は失業率が3%。実質的に完全な雇用状態である。それでいて生活に苦しい人がいるというのは明らかにワーキングプアの問題なのである。それを、賃金を3%上げたところで、解決するのはナンセンスだろう。結局、現行の制度だと働いたら支給額が減らされるので生活保護は意味もない。

 

国は役に立たない。企業もお金を出せない。どうするか。シンプルな答えはベーシックインカムだ。つまり一定額を国民に給付することだ。最近北欧でもベーシックインカムの導入を検討する動きが活発になり、流行もの好きの日本でもベーシックインカムの本が続々出版されている。

 

中でも著書は、具体的なベーシックインカムの制度設計がされていて非常に興味深い内容だった。バラマキに見える政策だが、人々の生活を保障するには最も効果的でシンプルな方法なのだ。

 

本書での提案

働いて得られる所得とベーシックインカムは次のように計算される。

 

所得×0.7+84万円

 

 ・所得は控除されていない状態である。

 ・一律に所得税30%を課す。

 ・年間84万円のベーシックインカムが給付される。

 

ベーシックインカム導入の理由

貧困とはお金のない状態である。貧困者に対してお金を与えることで解決できる。

国家は国民の最低限の生活を営む義務があるが、現行制度では解決できていない。

 

財源について

現在の国家予算の中で代替できる。年金や生活保護、農林費、商工費など雇用に関わる各種サービスをやめてベーシックインカムに充てる。

 

84万円の根拠

相対貧困率によれば、日本の貧困は84万円以下での生活であると定義できる。現在、84万円以下で生活している人は990万人。約3.7兆円で貧困はなくせる。

 

ベーシックインカムへの反論

働く意欲を削ぐのではないか

月々7万円の支給は現在の生活保護よりも低い。実際に働かざるを得ない。しかし、給与の低いところで我慢して働く必要はなくなるため、個人が企業との交渉できる力を持つ。それによって賃金アップの可能性は出てくる。

 

一方、生活保護と違って働いてもベーシックインカムは変わらないため、減額を恐れて働かない可能性は減るだろう。

 

貧困の原因は別にあるのではないか

その指摘はもっともである。しかし、それと生活の保障は別である。家庭内暴力、いじめなどの解決は別で行われるべきだ。雇用のための職業訓練も存在すべきだ。ベーシックインカムによって解決の糸口が見える。

 

第一に、生活が整えられ解決の一歩を踏み出せる環境ができる。第二に、ベーシックインカム導入によって、行政手続きは改善される。それによって余ったマンパワーなどを、貧困を生み出す根源の解決に使うべきだ。

 

全員に給付する必要があるのか

生活保護では、もらいすぎだ、働かないという世間の批判が強く、もらいにくい環境になっていた。全員に給付されればそうした妬みや不公平感がなくなる。

 

貧困層ではない人の負担はどうだろうか。一律30%の所得税を課し、ベーシックインカムで84万円戻ってくるのは、現行の所得控除と同じくらいなので負担も増えていない。

 

それでもベーシックインカムが実施できていない

貧困はお金のないことだから、お金を配ればよいという発想はシンプルで効果的である。しかしながら、いまだかつてこの政策を実施した国はない。それには2つの大きな理由がある。

 

一つは、金額設定をめぐる問題だ。どの程度の給付をすべきなのかというのは、かなり難易度が高い。できるだけ公平になるにはという視点で考えても、社会が複雑であるため全員が納得しうる金額が見いだせないのである。

 

もう一つは、政府tの家父長主義的な役割だ。国民国家では、生活に困った人間を助ける役割があるとされてきた。そこでは、政府が指導し、人々を教育、訓練し一人で生きていける手助けをすることに重きが置かれてきた。先に触れた、貧困そのもののケアよりも貧困のもとになる原因に政策が偏るのである。

 

これだけ人の嗜好も、価値観も、利害も違うのに、それに政府が全部合わせる必要があるのだろうか。まずもって政府の役割は「最低限の健康的で文化的な生活」を保障してくれればよい。複雑になっていく行政プロセスにつきあっている暇はないのである。公務員もあらゆるニーズに応える必要はない。

 

ベーシックインカムは、まずは一律に課税しそれを分配するだけだから行政コストも削減できる。お金の使い道は個人に任せる。政府にとっても、個人にとっても得策であろう。

 

私は、政府にやってもらうよりも自分でやった方がいいと思っている。年金分だってそのお金を、政府ではなく株で投資するお金に変えたいぐらいだ。じじいになって支払われるなんて露にも思っていない。できれば自分のお金で何でもして、万が一お金が無くなったら生活保護を受けるというのが理想だ。色々な理由を立ててお金を取らないでほしい。

 

「お金がある人はそのお金でやりくりしてください。もしなくなったら言ってください。国が払いますから。」これが究極的な国家の使い方だと思う。

 

ベーシックインカムはその意味で賛成だ。84万円という額はさておき、何にお金を費やすのかは人それぞれだ。一定額を支給して、その用途を自由にすべきだ。良い保育園に通わせる、最新の医療を受ける、スキルアップで転職する、社会保障サービスは政府の専売勅許じゃあるまい。お金をもらえれば、自然と選択も増えていくだろう。

 

民間ではできない、安全、生活を守ることにこそ政府は力を注いでもらいたい。政府が雇用を作ったり、賃金を上げたりする必要なんてないのである。