ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

暴力は人間の本性である『戦争にチャンスを与えよ』を読む。

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奇妙な夢を見た。16歳になった娘がロックバンドのコンサートに行くという。私は「テロが起きるといけないから、やめた方がよい」と諭す。しかし、娘は聞かない。私の忠告を無視してコンサートに向かう。私は彼女を追いかけてコンサートに潜入を試みる。数千にものぼるオーディエンスから娘を探すのは至難である。かき分けても、かき分けても人・人・人だ。しかも見慣れないターバンとあごひげの男たち、スカーフで顔を隠す女性ばかりだ。「パパも来てたの?」という声に振り返ってみると、娘がなぜかイスラーム女性の恰好で立っていた。そこで、目を覚ました。

 

こんな夢を見たのは、今回のマンチェスターでの自爆テロ事件のせいだろう。幼い少女が亡くなった。無意識に、何か他人事では済まされない感情が湧いていたのだろう。

 

人が殺されるニュースを聞くたびに、被害者を哀れみ、自分の身に降りかからなかった幸運に感謝する。戦争や暴力とは程遠いところにいるように感じる。そして、戦争や暴力が絶対的な悪と決めてかかっている。人間の本性が暴力的であるという事実を忘れている。自爆テロなど事件によって、私は改めて人間の本性に気づかされる。

 

 

しかし、我々は人間の暴力的な側面を認めることはできず、正当化もできない。ただ感情的に「テロは許されない」とか、「犠牲者がかわいそうだ」といった感想しか持てない。戦争や暴力を考える上では、感情論をどこかに置いていかなければ、正しい理解は得られないとも思うのだ。

 

エドワード・ルトワックの論文『戦争にチャンスを与えよ』は、戦争や暴力を理解するのに非常に勉強になる。戦闘のプロフェッショナルである彼は、戦争や暴力の性質を熟知している。「世界が平和になればいいなあ」などと願っている平和ボケの私、犠牲者ゼロで紛争を解決できないものか、と考えている理想主義の私に対して、彼の主張は「甘えているんじゃねえ」と言わんばかりの超現実主義的な戦争論である。

 

ノート1:無責任な介入が平和を遅らせる

戦争は平和をもたらすためのプロセスである。夢や希望を抱き、人々は戦う。しかし戦争によって彼らは疲弊する。資源・資産がなくなり、人材も枯渇する。いよいよ、「やめよう」という状態になる。一方が勝ち、もう一方が負ければ人々は普通の生活に戻るのである。負けた方は領土や権利を奪われる可能性がある。しかし平和はやってくるのだ。

 

最近の紛争が平和をもたらさない大きな理由は、第三者による介入によって平和へのプロセスを辿れないからである。コソボ紛争ルワンダ内戦でも国連や、先進国、NGOなどが人道的な立場から介入を行ってきた。この無責任な介入が紛争を長引かせている。

 

紛争を途中で中断される。勝敗が決まらず、敵対するグループへの恨み・つらみが募る。停戦中に戦力は回復し、過激派が介入組織の資産によって再び活気を取り戻す。NGO国連がテロや過激派組織を間接的に支援している。

 

アメリカによるイラク戦争は、中途半端な軍事介入でイラク国内からISが誕生してしまった。ルワンダ内戦では、隣国との国境付近に作ったフツ族への難民キャンプが、ツチ族を殺害する過激派の基地になってしまった。パレスチナに至っては、パレスチナ難民キャンプが、民間人の逃亡先から“望ましい住処”になり、世代を超えた難民国家を作り出した。

 

人道主義による無責任な介入は悪でしかない。当事者間の戦争を終わらせて平和を取り戻す戦時のプロセスをゆがめてはいけないのだ。

 

ノート2:パラドクシカル・ロジック(逆説的論理)

戦時中は一般のロジックが通用しない。むしろ反対の現象が起こりうる。つまり、戦争が平和をもたらし、平和は戦争をもたらすのだ。戦争は勝ちすぎると必ず負ける。領土拡大で、本拠地から離れることで、反撃の機会、寝返りの機会を相手に与えるからだ。

また、力関係が変われば敵・味方も変わる。国が弱体化することで、逆に同盟国を増やすこともできる。大国が小国に勝てないロジックもこれに由来する。この論理に従えば、平和の時にこそ、戦争への準備を怠ってはいけない。それによって、平和は初めて保たれる。

 

ノート3:東アジアでの日本の取るべき戦略

中国が尖閣諸島を奪うのは簡単であり、すぐにでも実行できる。誰かを上陸させればよい。上陸されてから、島を奪還するのはかなり難しい。日本がとるべき施策は、環境保護などの名目で尖閣諸島に人民を住ませる。もちろん武装した状態で。中国への挑発に取られる可能性はゼロではないが、実際に島が日本のコントロールにあることで中国の侵略を防ぐことができる。

 

中国は意外にも他国に対する理解が乏しい。外交部と意思決定機関の政治部は通じ合っていない特殊な国だからだ。一方、日本の外交は“あいまい”な態度が得意だ。しかし、国際関係上、無理解とあいまいさは最悪な組み合わせである。日本は、あいまいさを脱して、領土への主張を行動で示すべきである。

 

ノート4:北朝鮮への態度

北朝鮮の開発能力は侮るべきではない。生産性はイランよりも高く、日本で同じ核開発をしたら莫大な費用と時間がかかるだろう。早急に手を打つべきである。これまでの「制裁」のオプションは効果なしとみるべきだ。とるべきオプションは4つ。

  • 降伏(宥和):経済制裁の解除、国家の承認。
  • 先制攻撃:反撃される前に施設を占領・破壊。このためには、空陸からの同時攻撃が必要。
  • 抑止:日本も核弾頭ミサイルなどを配備する。
  • 防衛:ミサイル迎撃の精度を100%に近づける。


戦略上、降伏・宥和は必ずしも、負けではない。感情論を抜きに国益を考えて行動すべきだ。最悪なのは「何もしない」ことである。

 

ノート5:戦争回避のために

戦争を回避するには、戦争の準備をすること以外に、外交力が必要になってくる。すなわち、戦略的な友好関係を他国と結ぶことだ。そのためには、相手が何を求めているかを理解する。戦略のためには政治的な批判に耐える。カネと権力を正しく理解する。日本でこのルールを理解していた、徳川家康は、同盟戦略により天下統一を成し遂げ、世界でもまれに見る300年の安泰した国家を作り上げた。

 

とことん戦え、そしてお互いに「辞めよう」というまで誰も手出しすべきではない。戦争を尽くして初めて真の平和が訪れる。彼の主張は、多くの人からから批判を受けるのは間違いない。しかし、みんな密かに気づいている。戦争するなら早く決着をつけたい。

 

シリア内戦で、アメリカがちょっと空爆したから戦争が終わるわけではない。しばらくすればシリア政府軍の戦力は回復する。アメリカ、ロシア、トルコ、イラン、色んな国が介入しすぎてグダグダになっている。

 

アサドが勝っても、反政府軍が勝ってもどっちでもいい。安定と平和が欲しい。これが住民の本音のようにも聞こえる。アサド政権の独裁のほうが、内戦状態よりましだ。フセイン政権下のイラクのほうが、住民は違う宗派に襲われる心配もなく、平穏に暮らせたのだ。自由・平等など欧米が唱える人道的な介入は、ようはお節介だ。しかも無責任な。当事者にとっては自由・平等よりも命のほうが大切なのだ。

 

人間の歴史は暴力の歴史である。「創世記」ではカインがアベルを殺して、歴史が始まる。ホッブズが『リバイアサン』で指摘する通り、自然状態であれば人間は万人の万人による闘争を行うのが常である。ISによる自爆テロはまさに万人の闘争状態と言えよう。とにかく、私たちは人間の暴力性を認めなければならない。

 

キレイごとを抜きにして、この暴力性をいかに抑えて平和を作るかを考えるのが、お偉いさんたちの仕事である。それなのに、我々と同じように、“戦争反対”“断固暴力は許されない”など理想主義を掲げて、何もしないのは、著者の指摘するように平和ボケの何ものでもない。

 

「まあ、大丈夫だろう」と希望的観測を持つのではなく、エリートには国民の命を守るために何がベストな選択かをしっかり考えてもらいたい。さもないと、到底娘をコンサートになんて行かせられない。