読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

読書は頭の鍛錬だ 『わかったつもり』を読む。

f:id:feuillant:20170402215025j:plain

怒濤のような3月が終わり、新年度だ。日本では1月と4月が年のはじめである。4月からの手帳も売っているくらいだ。1月で躓いたら、4月から挽回できる。そういう意味では、もう一度「今年こそ」と目標を確認するのも悪くない。年を重ねるたびに、時間が経つのが早く感じる。忙しいからなのか、世の中の変化のスピードが速いからなのか。

 

3月は忙しくて新聞もろくに読んでいなかったので、少しばかり世の中に疎くなっている。それでもなんとかついて行けていると思ってもいる。新聞を読まなくても、見だしを見れば内容はわかる。雑誌・ビジネス本は特に飛ばし読み。それでも内容はつかめる。全部を読まなくてもいい、欲しい情報が見つかれば。全体像が見えれば。

 

情報が多くて、世の中の動きが早い社会では、こうした読み方は効率的である。忙しい環境で情報・知識を取りに行くと、結果的にこうなってしまったのだが、「短い時間で最大のアウトプットを」と謳う、流行の生産性の観点から見れば正しいのだろう。

 

 

私は阿呆だが、物事を深く理解したいと考えている人間だ。忙しさによって、効率よく情報を収集する術を得た今、もう一度文章の読解について考えてみた。ある人は、「人は知識を持てば持つほど馬鹿になる」という。ビジネス本でも、教養(読書)は大事という意見がある一方で、本は読まないほうが上手くいくという意見もある。知識を持つと、それが思考や理解の足かせになるのだそうだ。

 

本書は、人間が文章を読む時に無意識に行っている癖が「よりよくわかる」ことを妨げているという立場である。しかし、それは「本を読むな」と結論づけていない。「わかったつもり」を防ぐには新たな知識や考え方を得ることが大事だという。

 

ノート1:わかるとは何か?

文章や文は関連性がないと「わかった」状態にならない。よりわかった、深くわかった状態には、文章の部分間の関係性をより緊密にするために、知識、読み手の作った空想・仮定を使う。

 

ノート2:文脈とスキーマで内容を理解する

新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くよりも走る方がいい…一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることは滅多にない。…(p.45)

 

この文章は、言葉は難しくないが理解できない。なぜか。それは文脈がないからだ。ここに、「凧を作って揚げる」を加えるだけで理解できる。つまり、言葉がわかるだけでは内容は理解できない。何の話かがわかると、文章は一気に理解できるのである。

 

何の話か(文脈)が明確にされたことで、凧揚げについての知識が文章に解釈を加える。この私たちの中に存在するあるひとまとまりの知識をスキーマと呼ぶ。文脈がこのスキーマを発動、活性化させて理解につながる。逆に言えば、文脈が異なれば異なる意味になりうる。

 

ノート3:わかったつもりの原因

文脈がわかると、スキーマが発動するので、全体的な像が勝手にわかってしまうこともある。そうすると、「あれだな」と予想がつくので、部分を飛ばして読んでも理解できる気になる。それがステレオタイプのスキーマであれば、間違った解釈・不十分な解釈になる。

 

特に万人に受けるような説、当たり前とされている説、道徳的に善と考えられている文脈になると、それを当然と思って受け止める。「知識があれば逆に馬鹿になる」のような説はここから来るもののようだ。

 

ノート4:「わかったつもり」から、「深くわかる」へ

深く文章を理解するには、「わかったつもり」になっていないかを意識して読むことが大切だ。そして、文脈を変えてみる。特に部分の文脈の変換が効果的だ。違う角度から読んでみる。着目する点を変えて読みかえしてみる。それは新しい意味を引き出す。一方で、わからない状態に戻ることを意味する。

 

新しい意味を理解するには、客観的な事実に関する情報・知識の獲得と、読み手の解釈が大事になる。解釈は必ずしも正しい訳ではない。その解釈が文章と整合性があるかが重要だ。文章の内容が、自分の解釈と整合性がとれているかを見ていくのがよい。

 

読書は、読解力を鍛える。そのためには丹念に読む訓練が必要だと言うことであろう。ちょっと読んで、結論が予測できる場合には「わかったつもり」になっているかもしれない。ざっくり全体的にこんな話だな、となる場合には、細かく読んでみるほうがよい。

 

著者は、作者の意図と自分の解釈が違ってもよいとする考え方のようだ。作品は読者の手に渡された瞬間、自分のものではなくなる。作者が本当にどんな意図で書いたかは、本人もわからない場合もある。解釈は自由でよいのだ。ただし、整合性があえばの話だが。大学受験の国語の問題に違和感を覚えていたが、これがその謎の正体だ。解釈は自由でも、文章の整合性から逸脱するものは正しくない。

 

大学受験じゃないから、正解を教えてくれる人も答え合わせもない。ちゃんと読まないと、「わかったつもり」で終わる。新年度、ますます読書は丁寧にしようと思った。