ばんちゃんの読書日記~新書・文庫篇~

読んだ本の感想や勉強になったことをメモするための読書日記です。

子どもを守り、親の雇用を守る仕事 『ルポ 保育崩壊』を読む。

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娘が風邪をひいたので、1週間仕事を休んで育児をした。4月に入園して以来、2週間おきに風邪をひいている。この前は、突発性発疹だったらしく、熱が下がったあとブツブツが体にできて、ひどく泣いていた。37.5℃以上の熱だと保育園では、保護者に連絡をして帰ってもらうという。毎回、復帰したばかりの妻が、ずっとため込んでいた有給休暇を消化しながら家での面倒を見てくれていた。しかし今度ばかりは、妻も仕事が休めない。お店を経営していて、自由に仕事ができる私が、代わりに面倒を見ることになった。

 

月曜日に小児科に連れて行った。診断は夏風邪だそうだ。喉が少し赤い程度だから、熱が下がれば保育園に行けると言われた。火曜日は熱が36.8℃に下がっていたので、保育園に預けて仕事に行くことにした。しかし、預けてから1時間後くらいに、保育園から電話があった。熱が上がったらしい。急いで連れて帰り、看病をしようとした。熱は39℃近くあるのに、いたって元気な様子だ。結局、看病はせずに、家で遊んであげた。その後、熱は下がらず40℃近くまで上がったのだ。さすがに娘もぐったりしていた。これはおかしいなと思って、水曜日ふたたび小児科に行くと、先生は「子供は熱が下がっても、また上がることもあります。」ということで夏風邪という結論を修正しようとしない。

 

そういえば咳も出ているから、その旨を話したら、処方箋をもらった。木曜日、熱は下がったが、今度は咳がひどくなった。もらった薬は効かないのか。咳がひどくて、機嫌が悪い。お昼寝もできない。挙句はひどくせき込んで嘔吐してしまった。こういう時の男性の狼狽ぶりは格好悪い。すぐに妻に電話をして助けを求めたが、出ない。金曜日、今週3回目の通院である。「小さい子はせき込んで吐くことはある」と、私を慰めるような穏やかな口調で説明してくれた。

 

1週間も仕事を休んで面倒を見ているうえに、熱だ咳だ、嘔吐だと騒いで小児科に来てみれば、自分だけが無知な世界にいることを思い知らされて、ストレスは爆発寸前だったのでちょっと突っかかり始めた。

 

「保育園に入ってから頻繁に風邪をひくようになったんですよ。」

 

「たいてい、保育園に入ったら風邪とか病気をもらいます。免疫がないですからね。」

 

「それにしたってもらいすぎじゃないですか。こんな頻度で保育園休んでたら、仕事になんないですよ。」

 

「気持ちはわかります。でも子供は集団生活の中で感染しながら免疫をつけていくんです。それで体が丈夫になっていくんです。」

 

「免疫をつけるために病気にかかるなんて、子どもには過酷だと思います。こんなに熱出して、吐いて。私が記憶している限り、私自身、保育園そんなに頻繁に休んだことはないです。」

 

「それも子どもによりますね。ひく子もいればひかない子もいます。」

 

「じゃあ、風邪をひかない子は免疫をどうやって得るのでしょうか。子供のときに風邪をひいていない人は、抗体をすでにもっているということですか。」

 

 

思い出すと実にみっともない、オンステージが延々と続くのだが、怒りの矛先はついに保育園に向けられた。保育園には子供を預かるという機能だけでなく、親の代わりに育児を行ってくれる機能が求められる。汗をかいたら着替えさせていないのではないか。鼻水ばっかりたらす小僧の隣に座らせていまいか。部屋は清潔なのか。感染症対策は万全か。

 

今回の経験で、いかに我々家族が保育園に依存しているかがわかった。子供を預かるだけではなく、我々の雇用の安定をもたらす保育園。待機児童を解消するために、新たに保育園を新設したり、親のニーズにあわせて定員や業態を緩和したり、求められることが多い分、課題も多い。本書は、ジャーナリストが実際に見聞きした保育の現場で起こっていることを中心に、保育行政の問題点を指摘している。

 

ノート1:保育園の数よりも保育の質

自治体や政府は、待機児童の解消に向けて、保育園の数を増やしたり、規制を緩和して定員以上の子どもを預かったり(保育所定員の弾力化)、数の確保に力を入れている。しかし、急激なニーズの高まりと建設ラッシュで、肝心の保育士の育成が追いついていない。筆者が訪問した保育園の様子や、保護者の話からは、保育園の質の低下がうかがえる。

 

ごはんを残す子どもに激しく怒ったり、おむつを放置したり、ずっと昼寝をさせていたりする保育園。都内の狭い一室で、住民からの苦情対策で窓を閉め切っている保育園。3週間散歩をさせない保育園。親さえも園内に入れない保育園。

 

こうした保育園は特に民間施設に多く、効率性や生産性を求めた結果、子育てを機械的に行ったり、人件費のかからない若い未経験スタッフに責任者をやらせたりしている。

 

ノート2:ブラック企業化する保育園

家庭を支えるやりがいのある仕事である保育士は、その価値ほどの処遇を受けていないのが実態である。大きな課題となっているのは、仕事量の圧倒的な多さと、業務量に釣り合わない給与の低さだ。保育士は、子どもの面倒を見るだけではなく、清掃、片づけ、日誌作成、イベント企画、準備など、その他の業務にも多くの時間を割く。月給は民間では約21万円。手取りにすると17万円程度なのだ。

 

8時間週5日勤務と謳っているが、どの施設でも残業は当たり前。ひどい場合にはサービス残業や、家に持ち帰っての仕事など、保育士の業務負荷は相当なものである。そうした過酷な労働環境で体調を崩し退職してしまう保育士は多い。また結婚、妊娠後、退職した保育士は職場復帰をあきらめている60万人とも言われている。保育士の資格を持っているが働いていない、いわゆる潜在保育士の数は多い。こうした理由から保育士人材の確保が難しい。

 

ノート3:保育園経営の問題

認可保育園の運営は行政の補助金で賄われる。それほどに保育園はコスト高であり大きな利益が出にくい構造である。利益を出すにはコストの7割を超える人件費をいじるしかない。それなのに、民間企業による保育業界への参入はなぜ起こるのか。

 

大きな原因として、運営費の弾力化があげられる。運営目的の補助金を、保育所の運営に支障がない場合、積み立てて別の用途に充てられるという。企業は人件費を削って、運営費を浮かせ、貯めたお金で新たな保育園を新設できる。結局これは、補助金という公費を私的な資産形成に使えるということになってしまっているのだ。

 

一方で、保育園の運営自体は難しくない。仕事は規格化しやすい。役所の案内があるので集客も必要ない。入園者が決まれば1年間の収入は安定的である。経営は読みやすく、それゆえ利益の調整もしやすいのだ。安い労働力で効率よく回してさえ行けば、利益はそこそこ出るのである。それゆえ、新米保育士のスカウト争奪戦が起こりやすい。そして、経験の浅い大卒のスタッフにさえも園長を任せるなどという事態が起きてくるのだ。

 

ノート4:共働きと保育

共働き、核家族化によって必然的に保育園のニーズは高まる。保育園卒業後も、放課後に子どもを預ける場所を、探さなければならない。そういう意味では、10年以上子どもをどこかに預けなければならないのだ。

 

それだけ夫の給与だけでは、子どもを育てていけないのである。しかし、夫婦2人そろって正社員だと難しい。保育園の終了は18時くらいだからだ。それゆえ20時以降の延長保育、24時間保育可能なベビーホテルなど、より細かくサービスは分化していく。子どもが発熱でも休めない家族には、病児保育の充実も欠かせない。また、保育に教育を求めれば、英語やリトミックなどカリキュラムにも差別化が図られていく。

 

単に待機児童を減らすだけではなく、いろんな親のニーズに応えるための質の向上は今後さらに重要になってくる。それにも関わらず、保育士が育つ環境が整っていないのが現状なのである。

 

 

自分の娘を預けている保育園は大丈夫なのだろうか。素人でかつ、あまり保育士と話す機会のない私には、判断する目が育っていない。子どもを預かってもらっているという表現は紙一重だ。たまに、子どもが人質に取られているような感覚にも襲われる。入園するまで、風邪一つひかなかった娘が、毎週のように病気にかかり休んでいる。何かされているんじゃなかろうか。そんな不安が頭をよぎる。

 

しかし、いざ子どもの面倒を一日やってみると、これはこれで大変だ。魔の2歳児と言われるがごとく、親の予定、計画なんて通用しない。仕事なんてできるわけないのである。かといって、専業主婦(主夫)という選択肢はどうだろう。世の会社たちは生産性を上げるために、分業、分業と業務の細分化を行ってきている。時代に逆行するかのように家族はマルチタスクになっていく。どっちも働き、どっちも家事・育児。せっかく畳んだ洗濯物を、妻に畳みなおされると、完全分業を主張したくなる。景気も悪いし、片方だけの収入で子どもを育てることは難しい。女性の社会進出は経済にとってプラスである。

 

そのためには子供を預かり、我々の雇用を支える保育士の存在が不可欠である。保育士の育成と処遇の改善に取り組んでもらいたい。社会保障費に含まれる子育て関連の予算はわずかしかない。じいさん、ばあさんの人口が多いのはわかっているが、これから80年生きる未来の子どものために、80年生きた大先輩方から少しでも予算を譲ってはもらえないだろうか。